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十二支族と渡来人

前回のイスラエル十二支族の続きです。

宇野氏は、3世紀頃に十二支族の末裔が大陸から日本に渡ってきたと話ています。

いわゆる渡来人が日本に入りだしたのは、歴史上では紀元前2世紀頃からとなっているようです。

私は、それ以前も多くの渡来人が日本に来ていたと推測しています。
しかし、それまでの縄文文化、アマテラス文明以降の未だ真実を伝えられていないが間違いなく存在した高度な日本の先史文明に、大きな影響を与えだしたのは紀元前2世紀以降の渡来人ではないかと考えています。

その代表的な渡来人が徐福ではないでしょうか。
徐福は、紀元前2世紀頃栄えた中国、秦時代の人物です。

私が徐福を知ったのは、横山光輝氏の『項羽と劉邦』に出てきたからです。
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秦は始皇帝が初めて中国統一を成し遂げた国家です。
始皇帝は、自分の権力を誇示するために、大宮殿を建てた他、外敵の侵入を防ぐため万里の長城を建設させ、大国家秦を安泰なものにしていきます。

それでも安心できなかった始皇帝は、自分が永遠に秦を治め続けるために、東海(日本の方向)の国にあるとされる不老不死の薬を探す事を考え、実行に移します。
その際、派遣されたのが徐福です。

やはり、当時の日本は「日出ずる国」、神秘に満ちた国だったのですね。

始皇帝は、徐福に大型船10槽の船団を用意させ不老不死の薬探しに日本へ行かせます。
同行者1000人以上、食糧や金銀財宝を大量に積み込また大掛かりなものであったようです。

しかし、結局、徐福は秦に戻ってくることはなかったようです。

この徐福に関しては、日本各地に徐福伝説が残されています。
鹿児島、佐賀、和歌山、愛知など全国数十か所にいたります。

これらの伝説から、徐福が存在し、彼ら一行が日本に帰化したことが窺えます。
徐福伝説に関しては詳細が次のサイトの載っています。
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/jofuku/jofuku.htm

徐福は、秦の人物ですが、その秦の始皇帝自体が古代ユダヤにつながる人物という噂があります。
日本に帰化した徐福一行が古代ユダヤの血流を持った人物だった可能性も十分あり得ります。


次に、秦の始皇帝の末裔でないかとされているのが、渡来人の代表格、秦氏(はたし)です。

<WIKI:秦氏>
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F

秦氏はその音読が秦(シン)であり、明らかに秦に関係した氏のようです。
秦崩壊後、日本に渡来し大和政権の中枢となっていったようです。

そして、その大陸系大和政権を立ち上げたのが、これまで書いてきたように、現在の天皇の実質的祖、大陸からやってきた継体天皇です。
継体天皇の素性など詳細は良く分かりませんが、その名「継体」が示すとおり、535年の隕石落下で壊滅した日本の先史文明を引き継いだようです。

この継体天皇こそが十二支族の末裔の可能性が高いと思っています。

[追記]平成22年9月21日
 (継体天皇は直接的には古代イスラエルとは関係なさそうです。別の渡来人秦氏が古代イスラエルと関係しているようです)

現在の皇室も十二支族の流れを汲む事になります。

ちなみに、前述の秦氏一族は、現在は名前を変え宮内庁で神楽を担当しているそうです。

大和政権以前は、現在定説とされている皇室系統ではなく、別の皇室系統があったはずです。
それを伝説の邪馬台国と呼んでいいのかもしれません。

それがアマテラス、スサノオから神武天皇につながる倭人の流れを汲む縄文・アイヌ血流

この縄文・アイヌ血流と増加していった渡来人との間で、軋轢が生じ、国が乱れて行ったはずです。
そんな最中に535年の隕石落下が生じ、日本の先史文がほぼ壊滅。
大陸系の継体天皇が天下をさらってしまったようです。

これを揶揄した童謡がカゴメカゴメ。
スサノオ(アマテラス、スサノオ文明)とオオクニヌシ(大陸系文化)が入れ替わったということのようです。
(出雲信仰については別の機会に書くつもりです)

先史文明の生き残りは、大変な悲しみだったと思います。
その後、政権交代により、純粋な先史文明の行き残りは徐々に少なくなり、途絶えてしまったようです。

宗教では仏教が伝来し、それによって古代から受け継がれてきた神道も大きく変貌し、それが伊勢信仰に繋がっているのではないかと個人的に推測しています。

政権を受け継いだ大陸系が自らを正当化するために、出雲系神道に代わって新たに伊勢信仰を立ち上げたのでないか?
本来の古神道は、出雲系に残されているのではないかと考えています。

しかしながら、倭人のDNAがなくなった訳ではなく、大陸系と交わりながらも全てを吸収し、独自の文化を生み出してきたのが日本です。
仏教、キリスト教しかりです。
全て日本仕様に変わっています。

<天皇教>
  http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-33.html

明治維新以降、ほとんど西洋文化に浸食されてしまいましたが、神道等の古代から続く日本の精神が途絶えいるわけではありません。

日本は世界の雛型と言われますが、その本来の姿が現れる時期がまじかに迫っているのかも知れません。


最後まで読んでいただきありがとうございました。



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天津神

伊勢神宮の創建には古代イスラエルの神殿に熟知していた者達がかかわっていた、、らしい、「日本の中のユダヤ文化」より。
ドイツ軍団強いですね。EUをこれ以上支える気が無くなるかも。

Re: 天津神

> 伊勢神宮の創建には古代イスラエルの神殿に熟知していた者達がかかわっていた、、らしい、「日本の中のユダヤ文化」より。

やはりそうですか。
歴史の謎を調べていくと伊勢信仰が不自然に感じていました。
国津神系が古神道の系統のようですね。

> ドイツ軍団強いですね。EUをこれ以上支える気が無くなるかも。

意外でしたね。
ドイツVSスペインで、どちらが勝ってもユーロ崩壊となりそうです。

calseed

No title

除福の不老不死の秘薬は
血を絶やすなという密命であり本当の薬ではないですね
いろいろな話がありますが
北東北に除福が降り立ったという話もあります
アイヌと繋がると思いませんかw
ワクワクしますwww
日本にイスラエルが色濃いのは、ユダヤが歴史を捏造する為
寺にある過去帳の火事(焼き討ち)は、全てが仕組まれたもの
つまり日本人のルーツ消しですよ、過去の過去からずっと
そういう事を彼らはしてきました

Re: No title

FUJICOさん

貴重なお話しありがとうございます。
宇野氏はユダヤ系は古代日本では差別され、えたとして地下に隠れていたと話していますが、実際にはそうではなく、ユダヤと中国系は手を結んでいるのでしょうね。
中国系というのも漢民族ではなく、ユダヤの祖を持つ人たちなのでしょうけどね。

calseed

No title

出雲大社と伊勢神宮はそれ以前の何がしかのモノの焼き直し?
同時期にニコイチで創られたものではないかと妄想。
鹿島と香取は石上神宮を解体して神霊を分離したのではと妄想。(鹿島と香取の創建以降は石上はほぼ廃絶)

出雲国譲り神話での御子神の神霊を奉れと指定した場所(今も)が出雲国ではなく、何れも葛城やヤマトに有るのも妙な事。(天皇と朝廷の守り神となす云々・・・怨敵にそこまでしますかね?)

出雲大神の初発は、崇神天皇の御宇に勅命で皇太子であった垂仁天皇に祟り神の出雲大神を祀らせたとされる大阪の河内の富田林市に鎮座する
美具久留御魂神社。(=出雲大神=大己貴命)の創建譚に由来。
(後背には四基の古墳が並ぶ由/この東側はまんまPL教団の本部)
いわば最古の出雲大神を祀る神社。
「久留」が大己貴命?=大国主櫛甕玉大神の御名(諱)となる模様。
・・・大物主櫛甕玉大神は布留御魂大神(ニギハヤヒ大王)。
(神名も国と物。諱もフとクの一字違い。・・・)フ+く=「ふく」のロジック?

ここは二上山(神聖山)の西麓。三輪山の西。いわゆる太陽の道に有るようです。
時代が下って中世には楠木正成一門の氏神として崇敬をされていた由。

我が鎮守神さまの伊勢久留麻神社(敏達天皇年間(~585)に鈴鹿の久留真神社から勧請)を
湊川から淡路島に落ち延びた楠木正成一門の残党が最初に見たときはビックリかつ感激したのではと妄想。
楠木正成公は来島していない筈なのに神社には公の駒止め松の伝説があるのも妙な話。
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