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大洪水とマチュピチュ

前回の月の誕生(http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-7.html)で触れた大洪水が今回のテーマです。

ノアの方舟伝説は、ほとんどの方がおとぎ話と考えていると思います。私もそう思っていましたが、ノアの方舟が実在したという噂もあります。
第二次世界大戦後に、米軍が、トルコのアララト山で発見し回収したとか言われており、その痕跡が残っていると言われています。次のような内容ですね。
http://www.ne.jp/asahi/seven/angels/noah/noahark.htm
映画『2012』では現代版のノアの方舟が登場しますが、闇の勢力にはなんらかの意図でもあるのでしょか。

さて、木内さんの臨死体験での情景の続きです。
後に月となるガス状に覆われた巨大彗星が、地球に捕獲される直前、表面の分厚い氷が太陽の熱で溶け、大量の水蒸気の塊となりました。
そして、地球の引力によって引き寄せられ、赤道上空を土星の環のように巨大な雲を作ったそうです。

その後、数日間にわたりナイアガラの滝を上回るような大雨が降り続け、数千メートルの大洪水となり地球全土を襲ったそうです。
(聖書のノアの方舟伝説では確か40日雨が降り続いたとなっています)
このときの大洪水で、人類を始め、恐竜を含む大半の生物がほんの一部を残して、ほとんど死んでいったそうです。(この時の大洪水による生物の死が多くの化石になったと思われます。)

この頃(約1万5千年前)の地球は、陸地と海の割合が現在と逆で7:3くらいだったそうです。陸地は大きな一つの大陸、海は太平洋しかなかったそうです。海の位置は今より2千メートルも低く、そのため地球の質量は今より軽く、重力もかなり小さい状態だったので、巨大恐竜でも動きは素早く、人類も身長は3メートル以上あったようです。まさにアバターの世界ですよね。

伝説では、ノアの大洪水は数千メートルの高さであったと言われており、どのようにしてそれ程の津波になったのかと考えていたのですが、月から水が移動してきて大洪水になったとは、思いもよりませんでした。

さらに驚くのは、当時は、天文学など一部の科学分野では現代文明を凌駕する技術があったそうです。そのため、巨大彗星の接近で大洪水が起きることを数年前?から予知し、標高の高いところに移動して、たくさんの避難所を建設し避難したそうです。

しかし、大洪水の高さは予想をはるかに上回り、大半の人が死んでいったようです。一部の残った人たちは、文明の記憶は残ったものの、すべての文明の道具を失ったため、石器時代と同じような状況から再興せざるを得なかったようです。この時の生き残りの一部がマヤ族なのかもしれません。

また、大洪水後は、海の位置が2千メートル高くなったため、生き残った人は高山病のような状態になったうえに、地球の重力増も重なり、体調悪化で苦しんでいったそうです。寿命も当時は数百歳生きていたそうですが、大洪水後は、現在の我々よりも短くなったようです。

現在も、この大洪水の痕跡と思われるものが世界中に残っています。マチュピチュやカッパドギアの地下都市などです。また、ギアナ高地のテーブルマウンテンやグランドキャニオンもそうかもしれません。マチュピチュは、現代の定説ではインカ帝国時代のもと言われていますが、木内氏によるとこの洪水の前に作られたようです。
<マチュピチュの解説>
http://members3.jcom.home.ne.jp/dandy2/works/works_14_i.html

マチュピチュは、現在、標高が2400メートルの険しい山頂にありますが、当時は台地上の高地だったようです。当時、海の位置が今より2千メートルも低かったということは、実際には4千メートルを超える高地に避難都市を建設したことになります。

しかし、予想を超える大洪水(5千メートル以上?)に襲われ、岩盤の柔らかい部分が削りとられ、岩盤の堅い部分だけが残って現在のマチュピチュになったそうです。他の世界中の台地も大洪水によって切り裂かれたようです。

つい先日、マチュピチュ周辺で洪水が発生し、多くの日本人観光客が孤立するというニュースがありましたが、何かの前兆を暗示しているような気がしてなりません。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
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ナスカの地上絵と金星の謎

地球上には幾つかの七不思議が定義されています。私は、その中でもギザのピラミッドとナスカの地上絵が、最大の謎の双璧だと感じています。

ピラミッドについては、別の機会に書きたいと思いますが、5千年前のエジプト文明時に建造された王の墓という定説は、全く違うようですね。もっと古い時代(1万年以上前?)に、相当に高度な科学技術で短期間のうちに建てられ、目的も墓ではないようです。

一方、ナスカの地上絵ですが、現在でも定説はなく謎のようです。
ナスカの地上絵は写真でしか見たことがありませんが、数百メートルの上空、大きいものになると数十㎞(スペースシャトルの軌道と同じくらい)の上空からしか認識できないそうです。
http://members3.jcom.home.ne.jp/dandy2/works/works_14_g.html

ということは、我々が習ってきた歴史・科学では、とうてい説明できないオーパーツ(時代錯誤の遺物)ということになります。
説明できないと言うことは、逆に考えると現在の常識と思われている歴史や科学には捏造されているものもある、ということにもなるのではないでしょうか。

それでは、いつ、誰が、どのような目的で描いたのでしょうか?
これを説明する前に、断っておかなければならない事があります。
これまで木内鶴彦氏の臨死体験での情景を書いてきました。
彼は、臨死体験を本にしたり、ラジオのインタビュー(ネット上にもある)で話したりしています。
ただし、本に書いたり、ラジオでは話したりできないような、あまりにも現代常識とかけ離れているオフレコ情報もたくさんあるようで、講演の際に一部を披露しているようです。
今回は、そういう前提で書きます。

前回、月の誕生による大洪水(http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-7.html)について書きましたが、大洪水の直前(約1万5千年前)の文明というのは大変高度な文明だった、と言うことでした。
この高度な文明は、大きく二つの集団に分かれていたそうです。

一つの集団は、前回書いたように、大洪水を予知し高地に逃れたようとしたが逃れきれず、その大半が死んでいった人類。
もう一方の集団は、さらに進化した科学技術を持っており、大洪水から逃れるため何と宇宙に逃げ場を求めた人類だったそうです。驚愕!

その行き先は、金星だったそうです。もちろん、私は信じています。
そういえば、本心かどうか分かりませんが、鳩山首相夫人は「金星人と会った」、と物議をかもしたことがありましたね。

臨死体験での情景によると、金星の環境は、地球とは異なり二酸化炭素が多いそうですが、現在言われているように人間が全く適応できない環境ではなかったそうです。
しかし、金星は当然ながら地球よりも太陽光が強く、そのため金星に行った人たちは、次第に皮膚が変化していき、人間の面影がなくなっていったそうです。
グレイという小さめの宇宙人がテレビや本で紹介されることがありますが、あれに近い表情になっていったそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4_(%E5%AE%87%E5%AE%99%E4%BA%BA)

彼らは、今も金星人として住んでいるそうです。
地球に戻りたがっているそうですが、地球の重力が変わってしまい、環境が大きく変化したため簡単には戻れなくなったようです。UFOはこの人たちの乗り物が目撃されているのかも知れません。(金星人に関しては、これ以上の詳細情報は持っていません)

その彼ら、金星に逃れた人たちが残していったのが、
今日のテーマの『ナスカの地上絵』のようです。今から1万5000年程前ですね。

何のために作ったのか?
一つは地球に戻ってくる際の目印にするためであったようです。スペースシャトルからしか確認できないような、長さが何㎞もあるような矢印が、これにあたるのでしょうか。
もう一つは、金星に持って行った動物を描いているそうです。猿や鳥、蛇などがこれに当たるのでしょうか。(これこそまさしくノアの方舟ですよね)
また、宇宙人みたいなものも描かれていますね。自分たちのこと地球に伝えるメッセージなのでしょうか?

とにかく現代の常識を覆す衝撃の情景です。
金星に我々の先祖に当たる人たちがいるとは?
こんな事を書いている私は、周りから頭がおかしくなったのでは、と言われそうです。
しかし、現実をよく顧みてください。いろんな事に疑問がわいてきませんか?
どうやらこの数千年間?、一部の勢力が、宗教や学校教育、マスコミという手段により、都合の悪い事を捻じ曲げて伝え、我々を洗脳してきたようです。

玉蔵さんの記事には、1万7千年前からの人類の歴史について詳細に書かれた書類が存在し、バチカンに保管されていると書かれていましたね。真実を知っているのは一部の人だけなのです。

この世には、まだまだ、我々に知らされていない事がたくさんあるはずです。
早く真実が解明されるのを待ち望んでいます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

テーマ : 知ってほしいこと。
ジャンル :

ピラミッドの謎

世界最大級の不思議と言えばギザの3大ピラミッドですね。
このピラミッドは、最大のものはクフ王の墓とされており、今から約4500年前に建造されたのではないか、というのが定説です。
人力で20年から30年かけて作られた、というものです。
本当なのでしょうか?

ピラミッドの研究に関して、日本の第一人者と言えば吉村教授ですが、これに疑問を持っている浅川嘉富氏が書いた「謎多き惑星地球(上)」には、ピラミッドについて独自に調査したユニークな推測内容が書かれています。

まず、建造方法ですが、人力だけで到底建造できるものではないようです。
本の中で、大手ゼネコンの大林組が、クフ王のピラミッドと同様なものを現代技術で建築する場合のシミュレーション資料が掲載されていました。

それによると、世界最大級の500トンクレーン、30トン級ブルドーザー、円板カッター、油圧ジャンボドリル、200トン級トレーラー等など、
現代の最高水準の技術をふんだんに使っても、完成までに5年かかるとそうです。これには、今も良く分かっていないピラミッドの地下室部分については、考慮されていません。
建造した当時、相当発達した測量・建造技術があったのは確かのようです。

詳細は、浅川氏のホームページにも記載されています。
http://www.y-asakawa.com/message/report-egypt1.htm#エジプト古代史とピラミッドの謎

次に、建造年代ですが、浅川氏は、ピラミッドのそばにある、ほぼ同年代の建造物とされているスフィンクスをヒントに推測しています。
スフィンクスには、雨水(洪水)で浸食した痕跡が見られるそうで、気候変動を調べることで建造年代を推測しています。

エジプト地域は、かつては現在のような乾燥した砂漠地帯ではなく、降水量が多い時代があったそうです。
それは、紀元前9500年以上前のナビタン多雨期と言われる時期のようです。
この時期に大雨による洪水が起き、スフィンクは浸食されたのではないかと推測しています。
従って、ピラミッドの建造年代も、今から1万1500年以上前ではないか、と結論づけています。

一方、臨死体験の木内氏も非公式な情報ながらピラミッドに触れています。
建造年代は、以前書いた1万5千年前の『月の誕生時の大洪水』の後で、今から約1万年前(伝聞なので正確ではありませんが、大差はないと思います)のようです。

木内氏は、臨死体験の後、実際にピラミッドを何度も訪問し調査しています。
建造年代については、どうもオリオン座の位置で推測しているようです。
ギザの3大ピラミッドは、オリオン座の中心にある3つの星の位置と対応するように作られたという伝説があります。
しかし、現在のピラミッドとオリオン座の中心の3つの星は、地球の歳差運動によって春分点での位置が、かなりずれており、一致しないそうです。

そこで、木内氏は得意の天文知識を使って、ピラミッドとオリオン座の中心の3つの星が春分点でピッタリ一致するかどうか調べたようで、その結果、約1万年前(前後のずれはあるかもしれません)の時代に合致したようです。
浅川氏の推測年代とはそれほど離れておらず、現在の定説よりはるかに古い事になります。

ちなみに、月の誕生による大洪水の後、生き残った一部の人たちが、山を下りて文明を再興していくようですが、大洪水から5千年程経過した約1万年前頃は、エジプトやメソポタミア、インカ、マヤあたりでは、かなりの文明まで再興したようです。
これは、浅川氏も独自の調査結果からそのように判断していますし、他にも同様な意見を持っている方がいます。

ということは、歴史を整理すると、
約1万5千年前に月の誕生により、大洪水が起きて地殻変動が生じた。
それによって地球上の大陸と海の構造は大きく変わり、アトランティスや、レムリア、ムーといった高度な先史文明が滅亡した。
このとき恐竜も絶滅した。

その後、生き残った人たちが、数千年かけてエジプト超古代文明(エジプト神話の世界?)、シュメール超古代文明(バベルの塔の世界?)、マヤ文明(マヤのピラミッド文明?)などを再興した。
ピラミッドもこの時代に建造されたのではないか。

しかし、これらの再興文明も今から数千年前(5千年から1万年前?)に、別の地球規模のカタストロフィーによって再度滅亡した。

私は、このときのカタストロフィーが、聖書に出てくる『ノアの大洪水』ではないかと考えています。月の誕生による大洪水とは別と考えた方が、歴史上の辻褄があいそうです。

その後、現在、我々が教えられている約5千年前の文明発祥の歴史につながっていくのではないか、と考えています。

話をピラミッドに戻します。
木内氏によるピラミッドの建造方法は、衝撃的です。

詳細は分かりませんが、当時は何百トンという大きな岩でも簡単に持ち上げられる特殊な技術があったそうです。それを使い短期間でピラミッドを完成させたようです。

これは、おそらく、現代でもいまだ実用化されていない反重力エネルギーと言われる技術ではないのでしょうか?
(実際にはすでに開発されているが、闇の勢力によって封印されているとの噂)
反重力エネルギーについては、以下を参照してください。
http://quasimoto.exblog.jp/9647935/

また、ピラミッドを構成している一つひとつの大きな石の立方体は、人がノミを使って切り出しものでもなく、巨大なカッターで切り出しものでもないそうです。
一旦、岩を細かく砕き粒子状にし、それを立方体の型枠に入れ、特殊な薬剤を加え結晶化して固めたそうです。
これによって、カミソリの刃が入るような隙もないくらい、正確に重なり合った石段ができたようです。

おそらく、マヤのピラミッド群も同様な技術で建造されたのではないでしょうか。

これらの技術を持った人は、エジプトでピラミッドを作ったあと、数千年かけて中東から中央アジアへ移動し、一部は日本に渡ったようです。木内氏は、彼らを『倭人』と読んでいます。

最後に、ピラミッドの目的ですが、もちろん王家の墓ではありません。
それでは何かというのは、浅川氏も木内氏もはっきり述べていないようです。
ただし、木内氏は、当時の人たちはピラミッドを病院のようなものとして使用していたと言っています。ピラミッドパワーは本当なのかも知れません。

私は、オリオン座と関係があると言われていること、また、火星にもピラミッドが存在すると言われていることから、ピラミッドは宇宙との交信のためか、もしくは、地球の磁場のバランス調整に関係しているのではないかと思っています。

ちなみに、3大ピラミッドは、かつてはすべての表面を化粧版で覆われていたようです。
現在は、2番目大きさのカフラーのピラミッドの頂上付近に一部残っているだけです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89

この化粧版一枚一枚には、過去の人類の歴史か刻まれていたという伝説があります。
化粧版がなくなっているのは、過去の歴史を隠すためかも知れませんね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

縄文の叡智

縄文時代は、12000年前から2400年前(紀元前4世紀)までの期間と定義されています。
縄文時代には、水稲農耕は始まっておらず、主として狩猟により生活しており、植物性食物を煮るために独特の文様をもった縄文土器を使用していたと、高校の日本史の教科書には書かれています。
4大文明以前に栄えた文化的に低いものとされています。
1万年近く続く縄文時代ですが、本当に教科書どおりなのでしょうか?

以前、ピラミッドの謎に関する記事で、木内氏の言葉として、ピラミッドを建造した人々(玉蔵師匠によると「エノクの人々」)について、
数千年(どうも6000年程度のようです)かけて、中東(メソポタミア)を経てアジアへ移動し、一部は日本に渡ったようだ、と書きました。
そして、木内氏は、この人々のことを『倭人』と読んでいる、と書きました。
http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-11.html

私は、彼らは、いわゆるモンゴロイドに当たるのではないかと思っています。
ピラミッド建造年代を、仮に12000年~10000年前(私は、この期間に建造された可能性が高いと判断しています)とすると、6000年~4000年前頃には相当の技術を持った『倭人』が日本に上陸したことになります。まさしく縄文時代のさなかです。

それでは、縄文時代に、高い技術を持っていた痕跡は残されていないのでしょうか。

高坂和導氏は、5次元文庫「竹内文書」のなかで、
縄文時代は世界をリードする高度な文明が栄えていたようだと、書いています。

高坂氏が、そのように考えに至った一つに縄文式土器があります。
そもそも最古の縄文式土器は長崎県出土の降線紋土器というものらしく、シュメール文明土器よりも5000年も古い約12000年前のもだそうで、これだけでも凄いことになります。

さらに縄文式土器は、単純な素焼きの土器というだけではなく、「釉薬も使わず、高温で焼くこともせずに、水の漏れない土器を完成させた」という高度な技術であったようです。

そして、極めつけは次の写真の「遮光器土偶」です。
定説では4000年くらい前のものとなっています。

c0053311_10271779.jpg

<遮光器土偶wiki>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%AE%E5%85%89%E5%99%A8%E5%9C%9F%E5%81%B6

歴史の教科書でよく見かける土偶ですね。
宇宙服を着た宇宙人に似ているため宇宙服土偶とも呼ばれているようです。

高坂氏によると、この土偶の内部は空洞で、厚さ3ミリという薄さで均一に作られおり、現代の技術でも簡単には作れない、非常に高度な技術で作られているそうです。
まさしく、オーパーツ(時代錯誤の遺物)となります。

我々が習う縄文時代は、旧石器時代-縄文時代-弥生時代と文化度が進んでいく過程の文化の低い時代を指しますが、定説とは異なり縄文時代のある時期には大変高度な文明があったのは間違いなさそうです。

私は、土偶など全く興味がなかったのですが、高坂氏の本を読み大変興味を持つようになりました。
つい最近、ネットで調べていたら東京国立博物館で土偶展が開催されていることを知り、たまたま仕事で東京出張の機会がありましたので、ここぞとばかり土偶展に行ってきました。

平日にも関わらず、大変混雑しており、土偶の関心の高さに驚きました。
やはり、目玉はこの「遮光器土偶」で多くの人だかりができていました。
近くで見てみると何やら神秘的なパワーを感じ、単に4000年前の土偶というだけでなく、何かのメッセージを語りかけているような雰囲気さえありました。

そして、どうみても宇宙人を象っているようにしか見えませんでした。
とても狩猟民族の低い文化で作れるようなものではないと感じました。
会場の中で、真剣にこの土偶は宇宙人をモデルにして作ったものだ、と考えながら見ている人間は私だけだったかも知れません。
かなり感動しました。

他にも逆三角形仮面土偶など神秘的なものがありました。
http://cardiac.exblog.jp/12753798/

この遮光器土偶を見て、日本には、少なくとも6000~4000年前くらいまでは高度な文明があり、宇宙人も訪問していたのではないかと、確信しました。

それでは、なぜ、その高度な文明が退化していったのか。
時期的に5000年前というのは、世界的にエジプト、シュメールなどの先史文明が一旦、滅亡した時代にあたります。ノアの方舟伝説もこの頃という説が多いのも確かです。

世界的に、なんらかのカタストロフィーが生じ、そのため、高度な縄文文化(文明)が滅んだのではないか、というのが理にかなっているようです。

日本人の祖先も、まだまだ多くの謎が隠されているようです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。



天皇教

NHK大河ドラマ「龍馬伝」は、高視聴率で人気のようです。
大河ドラマに限らず、幕末や明治維新に関する近代史は、日本人には非常に人気があります。

我々が学校で習う近代史は、その本質が歪められていて国民は表向きの歴史しか知らないとも言われています。
私は、この辺りの近代史は門外漢ですので詳しくはありませんが、実際の史実は表向きの史実とは異なる部分が多いようです。

明治維新は、欧米が日本の今後のシナリオを描き、薩長等の維新派を背後で操りながら、成就させたようです。
英雄視されている龍馬も、フリーメーソンであるグラバーの命を受けて動いていたようですし、明治維新後は、邪魔になったので暗殺されたと言われています。

ただし、明治新政府も欧米から言われるがままではなかったようです。
欧米は完全に日本を植民地化するつもりで開国を要求したようですが、明治新政府は不平等条約を撤廃し、資本主義国家として独立するためにとんでもない奇策を考えたようです。
これについては、小室直樹氏が解説しています。

小室直樹氏は、数学者であり経済学者、かつ政治学者であって日本人で数少ない天才学者と言われつつも、異端児扱いされているようです。
その理由は、小室氏が現代の政治を痛烈に批判しているからのようです。

私は、小室氏の著書で最初に読んだのが「日本人のための憲法原論」だったのですが、非常に分かり易く理路整然と書かれているうえに、目から鱗が落ちるような事実を知り、それ以来、彼の著書をついつい10冊程読みました。
法律、政治、経済、宗教とそれぞれの学問の根源を素人でも分かり易く解説してくれています。

日本人のための憲法原論日本人のための憲法原論
(2006/03)
小室 直樹

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「日本人のための憲法原論」には明治維新前後の背景について書かれています。

当時の欧米国家は、白人国家以外は主権国家として認めていなかったそうです。
南米の国々の原住民は虐殺され植民地支配されたし、中国もアヘン戦争等でぼろぼろにされ半植民地化されたそうです。
欧米諸国は、日本も同じように半植民地化するために開国を要求し、明治維新後、不平等条約を締結させました。

しかし、ここから明治政府は頑張り、欧米に追い付くために資本主義国家を目指していきます。
ここまでは一般的に習う近代史の背景ですね。

小室氏の意見が違うのはここからです。

欧米の資本主義に追い付くために明治政府が行ったこと、それは「天皇を唯一絶対の神」にしたことだそうです。

一般的には、天皇は、初代神武天皇から第二次世界大戦で敗れて昭和天皇が人間宣言するまで、神様扱いと思っていましたが、実は明治政府が天皇を現人神にしたそうです。
国王などの国のトップを神としたのは世界で日本が唯一だそうです。

それまで天皇の立場はどうだったのかというと、
斎主(さいしゅ:神道の祭りに際し、主となって奉仕する者)であり、あくまで人間であった、そうです。

明治政府は、明治天皇を現人神にすることで、日本人に独自の宗教を作り与え、欧米のキリスト教同様に国家をまとめることに成功し資本主義を生み出したそうです。
このことを小室氏は「天皇教」と呼んでいます。

明治政府が、近代国家を作るために「天皇教」という宗教を作り、実際に成功し、日本的資本主義が生まれた。
小室氏曰く「こんな国はどこにもない」そうです。

そのために、古代から長く続いていた神道もその内容を大きく変えられ、一部の神社だけ残して多くの神社が廃止されたそうです。
現在残っている神社も、古代から続いていた儀式は明治時代で途絶えてしまったそうです。
これが、日本の本来の歴史が捻じ曲げられ、異なった形で伝えられている原因の一つのようです。

しかし、明治政府の「天皇教」による日本国家の再興がなかったら、今の日本がなかったのは明白です。
そうでなければ今頃は、間違いなく欧米によって完全に植民地化されていたのでしょうね。
そういう意味では、明治政府のとった国家施策は間違いではなかったのかも知れません。

ただし、真実の歴史認識を伝えようとする事を許さない現代政治の姿勢は、変えなければいけないと思います。
いつまでも国民を洗脳し続けたところで、現在のような行き詰まった日本では、明るい未来はないのではないでしょうか。
早く歴史の真実を明らかにし、明治維新ならぬ平成維新を成し遂げてもらいたいものです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ナスカの謎

昨日、たまたまテレビをつけたら
「歴史がくつがえる!?ナスカの地上絵に世界最古の巨大ピラミッドが出現!!」
という番組をやっていました。

まさしく私に興味をいだかせる番組でしたので見てみました。
ナビゲーターはSMAPの稲垣吾朗がやっていました。

以前、<ナスカの地上絵と金星の謎>を書きました。
http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-9.html

もちろん、私は木内氏の話を信じていますので、
ナスカの地上絵は1万5000年前の月の大洪水時に金星に行き場を求めた地球人がその証を残したものという説を支持しています。

従って、この番組がどういうふうにナスカの地上絵の謎を解いていくのか興味しんしんでした。

最初に稲垣吾朗がヘリコプターに乗って500メートルの上空から地上絵を紹介するシーンがありました。
ハチドリやサル、シャチなどでした。
稲垣吾朗は「ナスカの地上絵は上空から見るために作ったもので、地上では認識できるものではないですね」
と言っていました。

TV映像で改めて見る地上絵は稲垣吾朗が言うように、上空からしか認識できないようなものでした。
また、宇宙から発見したという長さ50キロメートルの直線も紹介していました。

この地上絵については詳しいことは分かっていないといいながらも、書かれたのは1500年前と番組では解説していました。
その理由は、この番組で初めて報道されたという「ナスカのピラミッド群(30個以上)」にあるようでした。

ナスカにピラミッドがあるということは、初めて知りました。
2002年に発見されたそうです。
それまでは砂に埋まっていて、小高い砂山と思われていたそうです。

このピラミッドの作られた年代が約2500年前と、発掘している考古学者は言っていました。
ピラミッドの目的は雨乞いや五穀豊穣など神への祈りの儀式に使用していた、
とその学者は解説していました。
その後、約1500年前に異常気象による洪水によってピラミッドが砂に埋まってしまったため、
神への儀式をピラミッドではなく、地上絵に変えたというものです。

ここで大きな疑問が生じました。
この番組ではピラミッドのそばの墓から発掘された神官と思われる少女のミイラを紹介していました。
このミイラの作られた時代について、番組では、放射性炭素年代測定法では約6200年前のもので、現代の定説の4大文明より古く世紀の発見、と伝えてました。

しかし、ナスカのピラミッドについては、何故か2500年前のもになっていました。
ピラミッドについては、放射性炭素年代測定法を行ったとは言っておらず、現地の考古学者の意見だけ取り入れていました。
番組の流れとしては非常に不自然でした。

推測するに、番組のディレクターは、この世紀の大発見であるミイラ(TV初登場と言っていました)と地上絵やピラミッドをリンクさせたかったのでしょうが、上からの指示でストップされたのではないでしょうか。

結局、この番組では、地上絵もピラミッドもナスカ古代文化の神の儀式のために作られたものという設定で終わりました。
ハチドリやサルはともかく、長さ50キロメートルの直線が儀式のためとは、疑問が残りました。

この番組を見ていて、私には一つ閃いたことがあります。
私はナスカの地上絵は、月の大洪水の直前に書き残し、金星に逃げって行ったと考えていましたが、
これだと大洪水の影響を受け、地上絵は浸食されてしまいます。

番組ではナスカのピラミッドが出てきましたが、これはすべて砂に埋まっており、一部が発掘されただけでした。
10キロメートルのそばにあるナスカの地上絵は、浸食されていません。

この謎のピラミッドの作られた年代は、月の大洪水の前1万5000年頃より前で、月の大洪水によって砂に埋もれてしまったのではないか。
そして、隣の地上絵は、大洪水が落ち着いた後に、前述のとおり金星に逃げていた元の人類が一旦地球に帰還した
しかし、地球環境が以前と異なっていたため永住するのを断念し、再度、金星に戻る際に書き残していったのがナスカの地上絵ではないかと。

そうすれば、月の大洪水、砂に埋もれた謎のピラミッド、今でも浸食されず残っている地上絵、と時代関係の辻褄があいます。

以前の私であれば、番組の内容に疑問を持たず、そのまま信じていましたが、
今回は、疑問の目で見つつ、却って新たな発見をして有意義でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ナスカの謎(続編)

先日、ナスカの謎について記事を書きました。
http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-37.html

さらにネットで調べていたら、木内氏の講演録でもう少し詳細に触れている部分がありました。
少し時代背景が異なるようなので補足説明します。

前回、ナスカのピラミッドと地上絵の関係について、約1万5000年前の月の誕生による大洪水の前にできたのが、ピラミッドで、大洪水の後に書かれたのが地上絵と述べました。

~前回記事抜粋開始~
番組ではナスカのピラミッドが出てきましたが、これはすべて砂に埋まっており、一部が発掘されただけでした。
10キロメートルのそばにあるナスカの地上絵は、浸食されていません。
この謎のピラミッドの作られた年代は、月の大洪水の前1万5000年頃より前で、月の大洪水によって砂に埋もれてしまったのではないか。
そして、隣の地上絵は、大洪水が落ち着いた後に、前述のとおり金星に逃げていた元の人類が一旦地球に帰還した。
しかし、地球環境が以前と異なっていたため永住するのを断念し、再度、金星に戻る際に書き残していったのがナスカの地上絵ではないかと。
~前回記事抜粋終了~


(参照)<月の誕生について>http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-7.html

木内氏に話による新たな事実は次のようなものです。
出所が定かではありませんが、転載します。

~転載開始~
金星に逃げて行った連中は地球から持ってった動物やそういうものを書いていっただけですね。何故かって言ったら、中南米の方もそうなんですが、チチカカ湖というものが今残ってるんですがあれよりも遥かに大きな湖があったことは間違いない。大洪水の後ですね。そこで、昔の人達は、凄い巨大な文明を作った人達もいたわけですが、その後それがまた、大地震か何かによって全部流れ出しちゃうんですそして流れ出した土砂によってできたのがナスカ平原とか、もうズッとアンデスの山脈から全部砂地になってます。歩いてきても走ってきても、凄いんですよ、それが。凄い距離が砂漠の中なんですけども。その中に書いてあるわけですね。これ、あたかも時代背景が大洪水の後ですというのがはっきりするわけです。ですから、マチュピチュとかクスコあたりの巨大遺跡を作った後の話になります。
それは地球から持ってったものを書き残してあるんですね。ですから彼らは空中浮いてる乗り物に乗ってますから、金星に行ってその動物を連れて行ってるんですね。連れて行った動物をどういうものを連れて行ったかのと、全部記してあるのといろいろやっぱり着陸上である事は間違いない。ただこれ宇宙人が、じゃでなくて、もともと地球人のやってる事ですよね。そういうものでした。
~転載終了~

木内氏はナスカのピラミッドには触れていませんが、地上絵は月の誕生による大洪水の後に書かれたと指摘していました。

注目は、月の誕生による大洪水の後に、さらに大地震のようなものがあって、今より遥かにおおきかったチチカカ湖(月の誕生による大洪水によってできたようです)が決壊し、大洪水が生じて砂地のナスカ平原が出来たと言っています。
ちなみに何年くらい後なのかは言及していませんが、これを分析している人がいました。

何度か紹介した浅川嘉富氏です。

謎多き惑星地球 上謎多き惑星地球 上
(2002/08)
浅川 嘉富

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浅川氏は、著書「謎多き惑星地球(上)」で、アンデス先史文明のティアワナコ遺跡の謎について書いていますが、
そこでチチカカ湖に触れています。

当時のチチカカ湖は、現在よりも水面が30メートル高く、現在の面積の2倍の大きさだと推測しています。
それが、1万5000年前第一波のカタストロフィー(月の誕生による大洪水)の後、今から1万3000年前に第二波のカタストロフィーが生じ決壊したと結論づけています。
これによってアンデス先史文明の一つティアワナコ文明が滅んでしまったそうです。

浅川氏によると、月の誕生による大洪水の後、文明はまた栄えたみたいですが、月から水を大量に吸い取った地球は、地殻が安定するのに時間がかかったようですね。
そして、2000年後に再度、地球規模のカタストロフィーが生じたようです。


話を戻すと、ナスカのピラミッドは、約1万3000年前生じたチチカカ湖の決壊による大洪水で砂に埋もれてしまったということになります。

そして、その後、金星に逃げていた元の地球人がやってきて、地上絵を書き残したと言うことになります。

いずれにしても、金星に元の地球人が今もいるというのは大変な衝撃ですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

西暦535年

西暦535年。これは何を意味するのか?

インドネシアのクラカタウ火山の大噴火です。

<クラカタウwiki>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%A6

535年にクラカタウ火山が大噴火したと推測しているのは、イギリスのジャーナリストであるデイヴィド・キーズ氏です。

西暦535年の大噴火―人類滅亡の危機をどう切り抜けたか西暦535年の大噴火―人類滅亡の危機をどう切り抜けたか
(2000/02)
デイヴィッド キーズ

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彼は、著書「西暦535年大噴火」により、彼自身が4年間かけて調査した結果をまとめ、結論を導いています。

この本の序章では、
「535年ないし536年に、人類最大級の天災が発生した。いちばん可能性が高いのは巨大な火山爆発だが、あるいは、小惑星が地球に衝突したのかもしれない。ともあれ、この出来事を出発点として、近代・現代に至る世界史の流れが始まったのである。」と始まっています。

本文では、この年から数年間の世界中の異常気象、飢饉の発生、政治情勢の変化など、彼が調査した結果から、その原因はクラカタウ火山の大噴火に間違いない、と推測しています。

この大噴火の凄まじさは、それまではスマトラ島とジャワ島は一つの大きな島だったそうですが、大噴火により分断されたと推測しているところから相当なものだったようです。

日本については、「飢えと疾病にあえぐ日本」として項目を設け、日本の様子を紹介しています。

日本書紀から宣花天皇の「黄金の万貫があっても、飢えをいやすことはできない。真珠が一千箱あっても、どうして凍えるのを救えようか」という言葉を紹介し、飢饉と寒さに凍える悲惨な日本の状況を伝えています。

仏教伝来についても538年とし、この大噴火の影響による深刻な社会情勢を救うため、天皇も仏教に頼らざるを得なかったとしています。


実は、この西暦535年、臨死体験の木内氏関係の情報で気になっている年です。
正確な情報ではないのですが、535年に大阪に隕石落下があり、日本の文明が大きく変わった、ということをネット上で読んだことがあったからです。

そういった経緯があり、前述のキースの著書「西暦535年大噴火」を読んでみることにしたのです。
残念ながら、キースの本には日本の隕石落下については書いてありませんでしたが、当時の日本の状況からして、十分隕石落下の可能性があるな、と考えていました。


ところが、先日、木内氏から直接話を聞かれた不可知様より、次のようなコメントをいただきました。

天体衝突:紀元5世紀?~7世紀頃?、近畿地方に天体落下があり、当時の政治・文化中枢がほぼ絶滅するほどの被害があったらしい。人的物的被害が甚大で、それ以前の文化との断絶も起きた。あまりに悲惨な出来事であったため当時の人々はこの出来事を記憶から消してしまい、公的記録にも伝説にも残らなかった。。。

木内氏から話を聞かれたのが数年前で、記憶がはっきりされていないとのことですが、衝撃の内容ですね。

年代は535年で間違いないと思うのですが、これを境に実質的に日本の文明が一旦リセットされたようです。

確かにこの535年以前の歴史は詳細な年代など残っていませんよね。
700年代に書かれた古事記と日本書紀で推測するしかない状況です。
皇族の系統は残されていますが、どうも途中で改ざんされた可能性が高いようです。
これについては別の機会に書くつもりです。

前述のWIKIにも書かれているとおり、535年以降は渡来人の影響が大きいようです。
それによって、以前の日本の文化は大きく変わったようですが、驚くのは535年以前の日本の文明はとてつもなく凄かったようだ、ということです。

木内氏は、微分・積分の計算くらいはできた人たちと言っています。
信じられますか?
ネット上にある木内氏の講演録の抜粋を転載します。

~転載開始~
先ずね、この話でこれを調べてていろいろわかってくるんですが、枚方交野を調べてる人は私なんです。私が全部それを調べる事になって調査をしててわかってきた事は、これは、先ず大きく分けてですよ、凄い文明が発達した事は間違いないです。少なくても、微分積分は解ける人達です。それも今から1500年よりも遥か前に作った人達ですね。そういう人種がいたって事です。これ凄くないですか?昔は文明が遅れてたなんてとんでもない話ですよ。もの凄い進んでた筈ですね。
あそこで、先ず中心点、天の北極として定めてすぐ前に池を作るんですね。裏に小高い丘を作りまして、ありまして、そこに櫓(やぐら)を作って上から見下ろすようにする。これが多分測量する場所であっただろうと。
・・・・・・・・・・・・・・・・
あそこに行って一番最初に驚いたのは天の川とかそういうのがあるんですが、星図、星の地図、私達が使ってる星の地図と全く同じように書いてあるんですよね。方向とかそれ。
皆さん、ああ、そうですかって思うでしょ。一番驚かなきゃいけないのは、左右がぜんぶ逆に書いてあるんです、これ。星の地図っていうのは。そうなってくると、ちょっと人事じゃないでしょ。普通皆さん、右側に見える星は右側に書きません?神社を作るとしたら。左側に見える星をこっちに神社を作るでしょ。これ、わざわざ左右を逆転させませんよね。左右に逆転するって事は大変な技術ですよね。そういう計算をしたっていう事なんです。

それくらい数学の技術があるってのと、それから一番驚いたのは、日本にあるのはこれは夏の星座の方向です。夏の星座を書いています。良く地上に星関係で書いてあるものとして有名なものが一つありますね。これはピラミッドの三ツ星、これオリオンを表わしてるということを言ってる人がいます。それがオリオンだとすると、地球を、空の天の天球として考えた時に、日本の位置があったら、オリオンというの大体180度反対側になるんですね、普通は。そうですよね。ところが、エジプトは110度離れてるだけなんです、日本から。カイロあたりを。そうすると、それとは当てはまらないと言う考えだったんですが、日本の場合の座標を調べてみると地球の首振り運動、歳差を考慮して計算してるんですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
~転載終了~

現在の大阪府枚方市と交野市あたり一帯にすぐれた天文学を持つ文明があったようです。
いや、歴史は捻じ曲げられているのですね。
木内氏の話は驚くことばかりです。

以前、私は縄文時代にふれましたが、やはり相当高い文明があったのですね。
<縄文の叡智>http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-17.html

何回も書いているように、月の大洪水の後、2、3回文明興亡を繰り返しているようですが、日本も例外ではなかったのですね。


真実をもっとしりたくなりました。


[追記]
535年の星空を神社で描いていた伝説を書いているサイトがありました。
次のページの左バー下方に「交野ガ原の歴史ミステリー」をクリックしてもらうと木内氏の話が出てきます。

<交野のあれこれ>
   http://murata35.chicappa.jp/katano/index01.htm



最後まで読んでいただきありがとうございました。


南北朝

天皇に関する記事はタブーとされています。

しかしながら、これに触れない事には日本の特に近代史の真実は見えないことが、少しずつではありますが分かってきました。

すでに535年には天皇の血統は途切れているようです。
<西暦535年>http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-43.html

たしか今上天皇が2002の日韓ワールドカップ開会式?に、先祖は大陸から来たようなニュアンスの発言をしていましたね。
従って、すでに天皇125代が同一血統というのは、途切れている可能性が高いと思います。

継体天皇が大陸からやってきて、日本を再興したということになります。
現在の闇の一族と天皇の関わりは、この頃まで遡るのかも知れません。
宇野正美氏のように、イスラエル十二支族の一支族が日本にきており、それが天皇家につながっていると主張する方もいます。

<宇野正美WIKI>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%87%8E%E6%AD%A3%E7%BE%8E

宇野氏の主張は、535年以降で考えれば、正しいのではないかと個人的には思っています。
しかし、やはり535年を境に全く文化の異なる日本になったという木内氏説が有力のような気がしています。


ところが、さらに驚くべきは明治天皇に関してです。
明治天皇に関しても衝撃的な噂があります。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、明治天皇すり替え説です。

たまたま入手した月刊ムー2008年4月号に掲載されていた特集「明治維新と失われた後南朝」に詳細に書かれています。
よくこのような特集を掲載できたものです。
学研には感謝しつつ、記事内容を引用させていただきます。

まず、明治天皇の前は、父親の孝明天皇ですが、孝明天皇は北朝系の天皇です。
歴史でならったように、第96代後醍醐天皇のときに南北朝に分かれ、第99代後亀山天皇まで南朝系の天皇が正式な天皇とされています。

<後醍醐天皇>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E9%86%8D%E9%86%90%E5%A4%A9%E7%9A%87

その後、第100代後小松天皇から北朝系に戻り、現在まで北朝系が皇室を継承しているとされています。

孝明天皇は、まさしく幕末の尊王攘夷運動の混乱時に在位しており、当初はうまく対応できていたようですが、公家や武士の権力闘争に巻き込まれ、その権力は低下し、明治維新直前1866年に35歳の若さで崩御しています。

<孝明天皇WIKI>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87

死因は天然痘とされていますが、毒殺説もあり謎めいています。

そして、息子の明治天皇が1867年1月30日に即位します。

月刊ムーの記事では、このときに南朝系の家系である「大室寅之佑」にすり変えられたと仮説をたてています。

大室寅之佑は、「後醍醐天皇の第11番目の皇子・満良親王の子孫で、大内氏、大江氏、毛利氏によって長年、長州・萩に匿われていた」とされる大室家の家系のようです。

月刊ムーによると、このすり替え説をを最初に主張したのは、作家の故・鹿島昇氏のようで、平成9年に著書「裏切られた3人の天皇-明治維新の謎」で発表したようです。

鹿島氏によるすり替えの動機は、
●孝明天皇は幕府と協力し、外国勢力を追い払おうとした
●倒幕を目指す薩長にとっては、大変な目障りとなった
●従って「毒殺」した
●息子の明治天皇もいいなりにならない可能性がある
●よってすり替えた

ということのようです。

meijiishin.jpg

この写真は明治維新直前に撮られた幕末の志士が一堂に会した写真です。
坂本龍馬、岩倉具視、西郷隆盛、高杉晋作、勝海舟、伊藤博文他、錚々たる幕末オールスター45名が写っています。
前から2列目の中央に写っている外国人が、このメンバーの招集者であるオランダ人宣教師「フルベッキ」だそうです。

そして、最前列中央の白っぽい上着をまとっているのが、「大室寅之佑」、のちの明治天皇だそうです。
次の写真はその明治天皇です。

明治天皇

明治維新後は、すり替えの証拠隠滅のため、前者の写真は国内ではすべて廃棄されたようですが、フルベッキがオランダに持ち帰った写真が残っていたようです。

月刊ムーでは、すり替えが行われる大義名分には、明治維新直前に処刑された長州の吉田松陰の思想が強く影響したと書かれています。

尊王は尊王でも、『北朝系である京都の天皇家を廃し、正統である南朝系の天皇家を再興する』という、いわば「南朝革命論」

そして、実際に手を引いたのは、伊藤博文

後押しをしたのは、前述のオランダ人宣教師フルベッキ、武器商人トーマス・グラバー、イギリス外交官アーネスト・サトウの3人の外国人としています。

以前、記事にしました「天皇教」で触れましたが、明治維新後、欧米国家に追いつくために天皇を神にする必要があったようです。
<天皇教>http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-33.html

そのためには、明治新政府の考えを理解してくれる天皇が必要であるというのは、自然の流れかもしれません。

坂本龍馬の暗殺は薩長説という噂がありますが、このすり替え説に関連しているかも知れません。

もちろん、すり替え説が真実であるかどうかは永遠に闇の中なのでしょうが、火のない所に煙はたたない、とうことではないでしょうか。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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勾玉の謎

不可知様からリクエストがありましたので、勾玉(まがたま)の目的について推測してみます。

imagesCAQMCUD7.jpg

勾玉とは、写真ような形をした数センチくらいの大きさで、縄文時代初期(約12000年前)から古墳時代(約1500年前)までの遺跡から発見されるものです。

国内だけでなく、朝鮮半島でも見られるようですが、存在した時期は、約2600年から約1800年前くらいまでの間と日本より大幅に短くなっていますので、勾玉が日本発祥の道具で、朝鮮半島に伝わったと言う事が推測できます。

<WIKI勾玉>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%BE%E7%8E%89

その勾玉の目的ですが、教科書では古代日本の装身具の一つで、祭祀に使われたとされています。

ユニークなその形は、WIKIを見てみると
①動物の牙をかたどったもの、
②太極図をあらわしている、
③母親の子宮内の胎児をかたどったもの

等の説があります。

他にネット上では
④太陽と月(三日月)が合わさったもので宇宙真理の表現
、といった推測もありました。

それでは、これらを検証してみます。

まず、①動物の牙説ですが、縄文時代が教科書で習うような低文明ならいざ知らず、大変高度な文明であったという説を支持する私は、この説は論外です。
そもそも縄文時代から古墳時代には、肉食の習慣はなかったようです。

※参照 
<縄文の叡智>http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-17.html
<日本の起源>http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-46.html


次に②太極図説ですが、私はこの言葉自体知りませんでしたが、この図は見たことがありました。

太極図

WIKIで調べると太極図は易で使われるもので、中国で11世紀頃に発祥したものとなっています。
場所、時代が全く異なりますので、この説もはずします。


次に③を飛ばして④太陽と月の宇宙真理説を考えてみます。
この説には、私は大変魅かれるものがあります。

これまで何度も触れてきたように、月は約15000年前に外部の彗星が地球に捕獲されて誕生したものという木内説を支持しています。
(私がこのブログを始めた原点です)

その前提だと、月誕生後の人類は、月がかつての繁栄していた文明を壊滅させた張本人ですから、月を閻魔大王のような罪を裁く神と恐れていたはずです。

従って生命のエネルギー源の太陽神の信仰と、悪神の月を鎮めるための儀式として勾玉が使用された、ということは十分説得力があるように感じます。

しかし、勾玉の形を良く見ると、太陽部分が小さく、三日月との組み合わせというには無理がありそうな気がします。
従って、この説も違うような気がします。


そうなりますと、③子宮内の胎児説が残ります。
確かに勾玉を見ると胎児に見えます。

そもそも勾玉は、天皇家の三種の神器の一つ八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)となっているように、天皇の装飾品であり、古墳から発掘されていることからもこれを身につけることができたのは、相当身分の高い人に限られていたようです。

<WIKI八尺瓊勾玉>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B0%BA%E7%93%8A%E5%8B%BE%E7%8E%89

古事記は、内容が改ざんされていると言われていますが、天皇の祖先は神とされるアマテラスとしています。

このアマテラスの一族は約5000年前に実在(ヒミコ、邪馬台国説あり)したという話しもあります。

さらに歴史を遡って、15000年以上前の先史文明。
この頃は、世界を支配していた2つのグループの一つが倭人。
この倭人が月の大洪水により、一部しか生き残らなかった。

その後、倭人は、ギリシャ、エジプト、シュメール、そして12000年前に縄文にたどり着いたと推測しています。

先史文明の支配者のDNAがアマテラスに引き継がれ、それが初期の天皇に繋がっている。

※参照
 <西暦535年>http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-43.html

この神の使者、神道の斎主としての天皇のDNAを引き継いできた証として、胎児をかたどり、天皇を崇めたと考えられないでしょうか。

倭人の証のために。

自分で書いていて、妙に納得しました。

これはあくまで私の妄想です。
真意は不可知様がコメントくださると思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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縄文のビーナス

一昨日、滋賀県東近江市の相谷熊原(あいだにくまはら)遺跡にて、国内最古級となる縄文時代草創期(約1万3000年前)の土偶1点がほぼ完全な形で見つかったニュースが流れていました。

これまでなら、何気なく気にも留めなかったニュースですが、私にとっては、まさしく旬な話題ですので傾聴しました。

見つかったのは、女性の頭のない上半身部分の土偶で、高さ3・1センチ、最大幅2・7センチ、重さ14・6グラムと大変小さなものです。

縄文ビーナス2

~産経新聞より転載開始~
ふっくらした胸に、わずかにくびれた腰—。滋賀県東近江市永源寺相谷町の相谷熊原遺跡で見つかった土偶は、豊満な女性をリアルに表現した1万3千年前の“縄文のビーナス”だった。子孫繁栄や安産のシンボルといわれる土偶。スタンプほどの大きさしかない超ミニサイズの人形に、古代人たちの深い祈りが込められていた。

 今回の土偶は頭部が表現されておらず、首の部分に1ミリ大の穴が空けられていた。調査担当の県文化財保護協会によると、現代のひな人形のように頭部を棒状の芯ではめ込むタイプではなく、穴を空けることで頭部そのものを表現した可能性があるという。縄文時代初めに誕生した当初の土偶は、頭部がなく胴体だけで表現されているものが一般的だ。今回の出土品は乳房が強調されていたことから、子孫繁栄を願うシンボルだったとみられる。顔が明確に表現されるのは、縄文中期(約5千年前)になってからという。

 縄文文化に詳しい渡邊昌宏・大阪府教委参事は「とても小さい土偶で、女性がお守りとして肌身離さず大切に持っていたのではないか」と推測。「女性が『乳がたくさん出ますように』と祈りをこめたのかもしれない」と、縄文人の心情に思いをはせる。

 縄文初期の日本列島は、氷河期の終焉(しゅうえん)とともに海水面が次第に上昇し、それまで中国大陸と陸続きだったのが現在の姿になったころとされる。一方、地質学者らの研究によると、今回の土偶や竪穴住居跡が見つかった約1万3千年前は、地球規模で再び一時的に寒冷化し、現在より平均気温が10度以上も低かったとの説がある。京都大大学院の泉拓良(たくら)教授(考古学)は、こうした気候変動に着目。「急激な寒冷化によって、縄文人は寒さをしのぐため、深さが1メートルもある半地下式の竪穴住居を築くようになった」とし、「深くて大きな竪穴住居を築くには、集団で作業をしなければならず、人が集まることで新たな文化が芽生え、土偶が生み出されたのではないか」と推測する。
~転載終了~


1万3000年前というと、正史では旧石器時代が終わり、約1万年続く縄文時代の草創記に当たります。
農耕文化はなく、狩猟文化の真っただ中とされ、大変低い文化とされています。

しかし、縄文式土器や土偶は、以前、触れたように学校で習うような低い技術で作られたものではなく、相当高い技術が含まれているようです。

<縄文の叡智>http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-17.html

これは、長野県棚畑遺跡で1986年に発見された、約5000年前のものとされる初代縄文のビーナス
縄文のビーナス

こちらも有名な、新潟県馬高遺跡で1936年に発見された約4500年前とされる火焔土器です。

火焔土器

これらの土器や土偶を見ただけでも相当高い技術があった事が伺えます。
特に火焔土器は、その技術はもとより、大変な神秘性を醸し出しています、

縄文時代は約1万年も長く続くことから、時代を特定していく事は非常に難しいと思われます。
従って、初代縄文のビーナスや火焔土器が4500年~5000年前と言われていますが、もっと古い可能性もあります。

今回発見された縄文ビーナスが1万3000年前、私が木内氏や不可知様からの情報をもとに推測してきた日本の起源の時期と一致します。
西方から日本にやってきた倭人が、従来からいたアイヌ人と混血していったのが縄文人の始まりのようです。


これを独自に調査・研究した方がいらっしゃいます。
村田静枝氏です。
彼女の著書「縄文のフィロソフィー」は1996年に発刊されていますが、人類の遺伝子分析や地名、黒曜石の移動、風習や生活様式の相似点などから、縄文人のルーツとその文化の高さを理路整然にまとめてあります

縄文のフィロソフィー―超古代の日本人は世界で活躍していた縄文のフィロソフィー―超古代の日本人は世界で活躍していた
(1996/01)
村田 静枝

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村田氏の分析力の凄いところは、ほぼ世界中の人類の遺伝子型を分析し、縄文人が世界のルーツであるとしている点です。

いわゆるモンゴロイドの遺伝子型を持った人種が、西はエジプトからアジア全域、そして南北アメリカ大陸に広がっているようです。
木内氏の言う倭人とモンゴロイドがほぼ同じと考えてよさそうです。

ただし、村田氏の説の異なるところは、縄文人が世界中に広がっていき、世界各地の人種の起源となっているとしている点です。

村田氏によると、日本人はモンゴロイドの中でも特殊で、気候の寒暖両方に耐えられる遺伝子型を持っているそうです。

一旦、モンゴロイドが日本に集まってきてアイヌと混血し縄文人となったが、彼らは時代を経る従いベーリング海峡から北米へ渡るもグループがあり、彼らがインディアンの祖先になり、さらに南方に進んでマヤやアステカあたりの文明に関わったとしています。
エクアドルでは縄文式土器と同じような文様の土器が見つかっているそうです。

また、今から約1万年から1万2000年前や、約6000年前、そして約4000年前といった時期には、日本から逆にアジアやエジプトに渡っていた痕跡が見られるそうです。

この理由の一つとして、それらの時期には温暖化による南極や氷河が融けだし、水位が高くなり大洪水が生じたためではないかと分析しています。
それを避けるため、一部の縄文人が南太平洋の島々や東南アジアに渡って行ったと推測しています。

これらの地域に、日本の地名と近い発音のものが見られること、また、これらの地域の人種の遺伝子型が日本人と近いなど、裏付け理由があるようです。

ちなみに、私は、約6000年前、あるいは約4000年の大洪水がノアの大洪水ではないかと推測します。

これまで、日本人のルーツ倭人について書いてきましたが、一旦日本に集まった高度な文明をもった人々が世界中に広がっていったというのは、この本で知りました。
この本によって、日本が世界の雛型である事が、より確証が持てたました。


新たに発見された1万3000年前の縄文のビーナス。
世界が新たに時代に突入する事を暗示しているような気がしています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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マンモスの眠り

まずは、次の画像をご覧ください。

これは2007年にシベリアで冷凍状態で発見されたマンモスの子供です。
生後1年程の雌だそうです。

マンモス2

マンモス

詳細は分かっていないようですが、約1万年以上前に冷凍状態になったと推測されているようです。

ほぼ原型の姿を保っていて神秘的ですね。

これを見て、皆さんはどう思われますか?


それでは、まず、マンモスについてWIKIで調べてみます。

~WIKIから転載~
マンモス(英: Mammoth)は長鼻目ゾウ科マンモス属に属する大型の哺乳類の総称である。現生のゾウの類縁にあたるが、直接の祖先ではない。約400万年前から1万年前頃(絶滅時期は諸説ある)までの期間に生息していたとされる。全長3.2mに達することもある巨大な牙が特徴である。日本では、シベリアに生息し太く長い体毛で全身を覆われた中型のケナガマンモスMammuthus primigeniusを指す場合が多いが、実際にはマンモスは大小数種類あり、シベリア以外のユーラシア大陸はもとより、アフリカ大陸・アメリカ大陸に広く生息していた。特に南北アメリカ大陸に生息していたコロンビアマンモスは、大型・短毛で且つ最後まで生存していたマンモスとして有名である。
~転載終了~


マンモスは、シベリアだけではなく温帯のアフリカやアメリカにも棲息していたようです。シベリアに生息していたと言われるのは、寒さに適応した全身を長い毛で覆われたケナガマンモスという種類とのことですが、この子供のマンモスを見る限り毛が見当たらないことからケナガマンモスではないような印象を受けます。

~WIKIから転載~
絶滅
・・・・・・・・・・・・
更新世末期にあたる約4万~数千年前に、多くの大型哺乳類と共にマンモスは絶滅した。最後のマンモスは、紀元前1700年頃に、東シベリアの沖合にある北極海(チュクチ海)上のウランゲリ島で狩猟されたという説が提起されている。
原因は未確定であるが、有力な仮説として氷河期末期の気候変動に伴う植生の変化を原因とする説がある。約1万年前に氷河期が終わり、高緯度地域の気温が10度程度上昇した。この温暖化以前のシベリアは乾燥した大地で、柳やイネ科の草が生息する草原が広がっていた。シベリアで発見されたマンモスの胃の内容物から、イネ科の植物がマンモスの主食であり、他にキンポウゲ科やヨモギ類などを食べていたと推測される。ところが、温暖化に伴って湿潤化し、一年の半分は大量の雪が降り積もる植物の生育に適さない大地へと変貌していった。マンモスの食料となる草木は激減し、マンモスもシベリアから消えていった、というストーリーである。
・・・・・・・
~転載終了~



WIKIでは、絶滅の有力な原因として、シベリアの温暖化による植物の減少としていますが、この冷凍マンモスの写真を見ると温暖化したとは思えません。全く反対の寒冷化した気候だったのではないでしょうか。

さらに、この子供マンモスの体には、ほとんど腐食跡などが見られないことから、冷凍する直前まで生きていて、一瞬にして冷凍になったように考えられます。

このマンモスだけでなく、シベリアでは1977年の子供マンモスの発見以来、数十頭の冷凍マンモスが見つかっているようです。
なかには、立ったまま冷凍状態になったマンモスも数頭含まれるそうです。

立ったまま冷凍状態になるということは、当然、一瞬で急激な超低温にならなければならないようです。
何らかの影響で超低温が生じたのではないか?


これを分析しているのが、何度か紹介した浅川嘉富氏です。
著書「謎大き惑星地球」の中で、次のように述べています。


そもそもマンモスは温帯の動物である。
毛が長い種類のマンモスが有名になってしまっため、マンモスはいかにも寒帯の動物と思われているが、冷凍マンモスには寒冷地の動物に見られる脂肪性物質を出す「皮脂腺」が見当たらない。
また、毛の長いオラウータン等は、熱帯の動物である。毛が長いからマンモスが寒帯に棲息していたとは限らない。

また、
①冷凍マンモスの口内や胃から消化されていないイネなど温暖化植物が見つかっている。
②立ったまま冷凍になっている。
③冷凍マンモスの肉は鮮度が高く、人間でさえ食することが可能であった。

これらにより、以前は温暖だったシベリアが、一瞬にして極寒地になったと考えられる。
そうでなければ、遺体は横たわっていたはずだし、口内や胃の食物も腐敗しているはず。


マンモスのような巨体を一瞬で冷凍するためには、氷点下100℃近い超低温が必要である。

この超低温が生じるためには地殻移動(ポールシフト)が起こり、温暖地であったシベリア北部が一瞬にして今のような極寒地になったとしか考えられない、
としています。

そして、これが生じた時期は、寒冷化に入り多くの動物が絶滅したとされる1万5000年前から約1万年前
としています。


この時期は、木内氏が臨死体験で見た月の誕生による大洪水の時期と一致します。
浅川氏も、月の誕生による大洪水との関連性をほのめかしています。

私は、月の誕生による大洪水時にポールシフトが生じた可能性については、木内氏が言及しているかどうか知りませんが、
実際に海の水位が2000メートルも上昇したということは、地球に与えた影響は地球誕生以来、最大のものであったはずです。

従って、ポールシフトが生じたのは間違いないのではないでしょうか?

ポールシフトによって温帯地域であったシベリアが現在の位置に一瞬にして移動(地殻がマントルの上を滑って移動したので、地上の動物に大きな衝撃を与えることなく緯度が変化した)し、氷点下100℃近い超低温により食事中のマンモスは立ったま冷凍され、口内や胃の内容物も消化されずに保存されたのではないか。

なかなか信じられない話かも知れませんが、この冷凍マンモスの画像を見ると確かに納得できる説だと思います。

そうでなければ、この冷凍マンモスは説明できないですね。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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漢字以前の世界

日本最古の書物は古事記、その次が日本書記。
合わせて記紀というのは常識ですね。

しかし、この記紀の内容を知っている人は意外に少ないはずです。
天皇の祖先である神々の国産みから天孫降臨、国譲りなど驚くべき日本神話が書かれています。

この記紀は700年代に書かれたものですが、その頃は大陸からの渡来人が支配する大和朝廷が成立していました。
歴史の教科書では、当時は渡来人が支配していたとされていませんが、実際には535年を境にそれまでの縄文人の系統から渡来人の支配に変わったようです。

<西暦535年>
 http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-43.html

これら渡来人によって成立した大和朝廷は、その後の奈良時代に続いていき現在に至ります。
従って、現在も渡来人の支配構造が脈々と続いていると言われています。

そういった時代に書かれた記紀は、当然、縄文文化を否定し、渡来人文化を正統化するため事実とは異なる歴史「日本神話」を作り上げていると言われます。

実際には、記紀の前にも古文書がたくさん存在していたようです。

その写本が、
竹内文書(タケノウチモンジョ)
先代旧事本紀大成経(サキツミヨノフルコトノモトツフミオオイナルオシエ)
秀真伝(ホツマツタエ)
上記(ウエツフミ)
九鬼文書(クカミモンジョ)

等です。

これらの古文書は、日本史では偽書と扱われ、神社整理等の政策により廃棄され、一部しか残されていないようです。

このうち竹内文書、先代旧事本紀大成経の入門書を読んでみましたが、記紀で書かれている日本神話の登場人物が実在し、大変高い文化を誇っていたことが書かれており、衝撃の内容でした。

特に竹内文書に至っては地球の誕生にまで触れており、どここまでが真実なのか分からなくなってしまうくらいトンデモ内容なのですが、一部には参考になるような話題も書かれています。

そういった最中、先日、コメントいただいた方からヲシテ文献という古文書を教えていただきました。
早速、ネットで調べてみました。

日本ヲシテ研究所なるサイトがありました。
  http://woshite.com/page1.html

ヲシテ文献とは、 「ミカサフミ」「フトマニ」「ホツマツタヱ」という古代の歴史書を調査研究し、現代後に翻訳した文献の事を指しているそうです。

特に「ホツマツタヱ」が中心をなすようですが、前述の秀真伝(ホツマツタエ)とは異なるようです。
詳細は、次のページに書かれています。
 http://woshite.com/page4.html

大きく異なるのは前述の秀真伝(ホツマツタエ)等の古文書は漢字以前の文字とされる神代文字(かみよもじ)で書かれているのに対して、ヲシテ文献は、ヲシテ文字で書かれている点です。

一般的に日本史で文字が登場するのは5~6世紀頃に中国から伝来したと言われる漢字からです。
それ以前は文字がなかったとされています。

しかし、神代文字、ヲシテ文字とも数千年前から存在していたとされています。

ヲシテ文献について現在の第一人者と言われる池田満氏の著書「『ホツマツタヱ』を読み説く」を読んでみました。

『ホツマツタヱ』を読み解く―日本の古代文字が語る縄文時代『ホツマツタヱ』を読み解く―日本の古代文字が語る縄文時代
(2001/11)
池田 満

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この本は非常に専門的、かつ真摯に研究に取り組んだ成果が見られる読み応えのあるものです。
これまで私が読んだ入門書とは出来が違います。

まず、池田氏は、神代文字は否定しています。
神代文字は後世に漢字を元に作られたもので、神代文字で書かれた竹内文書や上記などの古文書は偽書としています。

そして、ヲシテ文字こそが漢字以前の古代文字としています。
<ヲシテ文字>
Hotsuma.gif

ヲシテ文字は、上記のように48音で現在のかな文字の50音とほとんど近い発音です。

池田氏は、このヲシテ文字で書かれた「ミカサフミ」「フトマニ」「ホツマツタヱ」を20年以上かけて解読し、その研究成果をまとめています。

池田氏によると、このヲシテ文字で書かれたヲシテ文献の成立は、2世紀から4世紀としています。
この時代は、まさしく渡来人文化以前の古代日本です。

ヲシテ文献に書かれている内容は、日本史区分では縄文中期に当たる6000年前くらいからの古代日本の姿が描かれています。

そこには記紀の日本神話よりも、より現実的な国家の成りたち、天皇の前身、縄文中期の生活の様子等が描かれています。

この時代の様子については別の機会に書きますが、漢字以前には列記とした日本の古代文字があったのは事実のようです。
それも数千年前からです。

私はヲシテ文献を信憑性が高いと感じました。


真地球史

明治維新から現代文化までに要した期間はたった150年

縄文時代は、約1万年続く時代です。
それも、もともと高度な文明の生き残り、倭人系文化を引き継いだ人たちです。
この1万年の間には1、2度の文明の興亡があったのは間違いないと思います。

これらは、大和朝廷時代以降の渡来人にとって都合が悪いため消された歴史です。
そして、現在では、闇の勢力にとって日本人を目覚めさせないために葬られた歴史だと考えています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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ノアの大洪水

真地球史を作成しましたが、説明不足の箇所がありますので今後、何回かに分けて考察してみたいと思います。

ver21.jpg

これまで月の誕生による大洪水は何度も紹介してきましたが、その後、2回の世界的なカタストロフィー(後で生じたのはノアの大洪水)については、詳細は触れていませんでした。

今日は、この2つのカタストロフィーについて考察します。


まず、今から1.2~1.3万年前(BC1万年前後)の世界的なカタストロフィーです。
このカタストロフィーの前は、エジプトを中心とした第2の文明が栄えていたようです。
また、南米でもティアワナコなどの巨石文明の名残りが栄えていたようです。


私がカタストロフィーをこの年代に設定した理由は、まず浅川嘉富氏の分析からです。

以前、約13000年前に、今の南米ペルーあたりで当時は湖水面積が2倍以上あった旧チチカカ湖が決壊し、南米にあった古代文明ティアワナコ文明などが消滅し、この結果、ナスカ平原ができたことを書きました。

<ナスカの謎(続編)>
  http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-39.html

浅川氏は、南米だけでなくシベリアやエジプトでも同様なカタストロフィーが起きたと分析しており、このとき起きた地震はマグネチュード10クラスだったのではないか、と主張しています。

一方、木内氏は、エジプトのピラミッドやスフィンクス、またその周りの遺跡(約1万4000年前の古代エジプト文明の遺跡)について、月の大洪水によって生じたアフリカ中央部のとてつもなく大きい湖が、2000年以上たった後に大地震で決壊したため、砂に埋もれてしまったと話しています。

ギザのピラミッドがクフ王の墓とされているのは、クフ王の時代に埋もれたピラミッドなどの遺跡が発掘されたからのようです。

従って、月の大洪水ほどの地球規模の大カタストロフィーではないが、局地的な地殻変動が多発したのが今から1.2~1.3万年前であるのは間違いないようです。
これによって、当時の古代エジプト文明や南米のティアワナコ等の文明(第2の文明)が消滅したようです。


次はノアの大洪水です。

第2の文明消滅から1000年から2000年程経過して、第3の文明が発展します。
この中心は、今のイラク、チグリス・ユーフラテス川付近に興ったシュメール文明です。
未だに謎が多い文明のため、正史では扱われていないようです。
エジプトから移動した人たち(一説にはケルト人)がシュメールの都市を形成したようです。

また、この時期は日本に倭人系が上陸し、そこそこの高度な文化があったと推測されます。
縄文初期の文化です。

シュメール文明や縄文初期の文明は3000年ほど続いたと推測されますが、その痕跡が突然に消えてしまいます。
この第3の文明が消えた原因がノアの大洪水ではないかと言われています。

ノアの大洪水は、旧約聖書の『創世記』に出てくる物語で多くの日本人は神話の世界と感じていると思います。

<WIKI:ノアの方舟>
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%96%B9%E8%88%9F

しかし、今から5000~6000年前に生じたとされる数千メートル級のこの大洪水、旧約聖書だけでなく世界各地に洪水伝説があることや、アララト山に漂着したとされる「方舟発見」等、本当に生じたのではないかとも言われています。

私も当初は、月の誕生による大洪水の再来であるノアの大洪水がなんらかの理由で生じ、第3の文明が滅んだのではないかと考えました。

しかし、村田静枝氏「縄文のフィロソフィー」を読んで、少し考え方を変えました。
<参照:縄文のビーナス>
   http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-67.html

この本は縄文時代の高度な文明を学術的に考察しているのですが、今から7000年前頃が温暖化のピークだったようです。
この頃は、日本で海水面が15メートルから30メートくらい高くなり、陸地の18%が水没した事が書かれています。
いわゆる縄文海進でしょうか。

長い時間をかけ、ゆっくりとした海進によって増水し、海岸沿いにあった都市は水没したと推測されますし、温暖化による雨量増加により、洪水も頻繁に起きるようになったはずです。
また、地震による津波も今より大きかったはずです。

このような状況から、縄文時代中期の人々は、東南アジアや南方の島、さらにはベーリング海から北米、南米へ新たな領地を見つける旅に出て行き、世界中に縄文人が広がっていった事が書かれています。

この事から、おそらくシュメール文明の人たちも、チグリス・ユーフラテス川の増水によって都市を追われた可能性もありますし、温帯化による数十メートル級の洪水より都市が壊滅的な打撃を受けた可能性があります。

旧約聖書に書かれているような数千メートル級の大洪水で一気に消滅したのではなく世界的な温暖化による海進による副次的な災害によって、徐々に第3の文明は消滅したのではないかと考え直しました。


それでは、何故、旧約聖書のノアの大洪水、そして標高4千メートル級のアララト山で見つかったとされるノアの方舟伝説が残されているのか?

おそらく、15000年前の月の誕生による大洪水を模倣した闇の勢力が仕組んだものなのではないのだろうか?


[訂正・追記](2011.1.23)
その後の情報により、聖書に出てくるノアの大洪水は、月の誕生による大洪水を指すようです。
トルコのアララト山の痕跡はそのときのものだそうです。
木内氏が過去に現地を検証し、思い出したそうです。



映画「2012」はまさしく、ノアの大洪水を映画化したものでした。
ポールシフトによって世界中が大洪水に沈んで行く様子が、リアリティに映し出されていました。

私は、この映画を見て、木内氏の月の誕生の大洪水の様子が脳内にダブリました。
この映画は、キリスト教に疎い日本人にとってはそうでもないのでしょうが、キリスト教を信仰している外国人にとっては恐怖心を煽られるものだったはずです。

旧約聖書のノアの大洪水、これは2千年前から恐怖を煽るために画策されたのに違いありません。
「縄文のフィロソフィー」を読んでそう考え直しました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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アマテラス文明

真地球史の考察第二弾です。
真地球史

今回は、日本国建国からアマテラス文明です。

アマテラス文明とは、私の勝手な造語です。
しかし、どうやら日本神話の神、アマテラス(天照大神)は実在していたようです。
倭人系の流れを汲む高度な文化が存在していたようですので、このようにネーミングしました。


まず、アマテラスが出てくる公式文献は日本最古の書とされる古事記です。
古事記には、世界の誕生から日本神話が書かれています。

最初は、天地開闢(てんちかいびゃく)です。
これは世界が誕生し、それに伴い三柱の神が生まれます。
続いてニ柱の神が生まれます。

<WIKI天地開闢>
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E9%96%8B%E9%97%A2_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%A9%B1)

次に、神世七代(かみのよななよ)と言って、人類の起源に繋がっていく神の誕生の様子が描かれいます。

この時代には、七代の神が誕生します。
七代目が、アマテラスの両親であるイザナギ、イザナミです。

<WIKI神世七代(かみのよななよ)>
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%B8%96%E4%B8%83%E4%BB%A3

このイザナギとイザナミが地球上に初めての陸地となる日本を創っていきます。
これがいわゆる国産み、日本の原型の誕生です。

<WIKI国産み>  
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%94%A3%E3%81%BF

<参照:淡路島と琵琶湖の謎>
  http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-59.html

そして、皇室の祖(皇祖神)とされる神アマテラス(天照大神)が誕生します。

イザナギ、イザナミからアマテラス、そして初代神武天皇まではの系統図は次のとおりです。

sinwa.png

現在では、学説により神武天皇から10代崇神天皇あたりまでは実在していないとされているようですから、アマテラスも当然神話の世界の話であり、実在などするはずがありません。

私も、当然、そのように思っていましたので、不可知様からアマテラスに繋がる人々がいたらしいと聞いた時は衝撃でした。

しかし、この古事記の天地開闢などは、旧約聖書の天地創造に通じるところがあります。
天地開闢や天地創造は、かつて国という概念がなく世界が一つの大きな大陸だった時代が、月の誕生による大洪水によって一旦、最初の文明が崩壊し、その後の新たな国づくりが始まる様子が伝承されている可能性が高いように感じています。


先日、紹介しましたヲシテ文献(ホツマツタヱ)では、日本国建国の様子が神話ではなく、実在の話として具体的に書かれています。

<漢字以前の世界>
  http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-71.html


池田満氏のヲシテ文献の研究によれば、古事記に書かれている神話の時代は実際には次のような現実の歴史だったようです。

①天地開闢が、日本建国前のミナカヌシの時代(縄文時代初期)
②神代七代が、カミノヨ十二代で日本国建国、文化的になっていく時代(縄文時代中期)
③神武天皇以降が、ヒトノヨで漢字以前の文化があった時代(縄文時代後期以降)


ヲシテ文献では、カミノヨ初代クニトコタチ(古事記では神代初代)が日本国を建国したとしています。

三代トクンヌの頃には、階層の分化が進み、
四代ウビチニ、スビチニのときは稲作が開始されたとしています。
七代イサナギ、イサナミ(古事記のイザナギ、イザナミに当たるが、呼び名が違う)の頃には、水田稲作が広い地域に普及したようです。

そして八代アマテル(古事記のアマテラス)の頃には、水田稲作社会が確立し、生活水準が豊かになった事が書かれています。
アマテルの時代は3000年位前と推測しているようです。

不可知様からの情報では約5000年前でしたから、池田説とは2000年くらいの差がありますが、ヲシテ文献に西暦が書かれている訳がないので、数千年の誤差は生じると思います。
それだけ謎とされている縄文時代一万年はとてつもなく長い年代なのです。

私が真地球史で約6000年前を日本国建国とし、それから約3000年前までをアマテラス文明としたのは、こういった理由です。

この時代は、古事記では神話扱いにされていますが、これは大和朝廷を日本国建国としたい渡来人侵略者たちが捏造したからに違いありません。

世界的に一万年続く縄文時代のような文化を持つ時代はないようです。
世界史では、メソポタミア文明からギリシャ文明にあたります。
これらの文明以上のものがアマテラス文明として存在したと推測しています。

ヲシテ文献だけでなく、古い歴史を持つ神社にも多くの古文書があるようですので、学術的に解明されるのも近いのかもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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アトランティス

アトランティス、個人的には、これ程、謎のロマンを抱かせる言葉はないと思っています。

私がアトランティスの響きで思い出すのは、小学生の頃、テレビアニメで見ていた『海のトリトン』です。
神秘的な海洋民族トリトン族。
ポセイドン族との闘い。
オリハルコンの剣。



そのアトランティスを初め、私が先史文明の可能性を知ったのは昨年秋頃、浅川嘉富氏の著書からです。
それからはアトランティス、ムー、さらにはレムリアなど、伝説の文明・大陸について実在した可能性をネットや本で調べ出しました。

トリトンを思い浮かべながらアトランティス関連を調べていた昨年末頃、
NHK-BSでトリトンの再放送が放映されているのを知りました。

これぞ、シンクロニシティと感激しながら、40年近く前に見ていたトリトンを何話か、なつかしげに見ました。
現在のアニメと比べると、非常にシンプルで古さを感じさせますが、それが返ってトキメキを感じさせました。

それから、トリトンに触発されて、アトランティスに関する本を真剣に探しました。
アトランティスに関する本は5冊程読みましたが、いずれも存在した年代や文明が異なっており、どれも真実の決定打は書かれていませんでした。


アトランティスについては、哲学者プラトンが言及したのが最初のようです。
<WIKIアトランティス>
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9

プラトンは9000年程前北太平洋上にアトランティスが存在したとしています。

他にもいろいろな方が、1万2000年前とか、はたまた10万年前に存在したとか。
場所も大西洋以外では、南極説や地中海説など多岐に渡っています。

そのまま解決することなく、アトランティス解明からはしばらく離れていたのですが、最近、再度、それらの本を読み直して見ました。

その中の1冊「古代文明の謎はどこまで解けたかⅠ」では、これまで見落としていた興味ある資料が載っていました。

古代文明の謎はどこまで解けたか〈1〉失われた世界と驚異の建築物・篇 (Skeptic library (07))古代文明の謎はどこまで解けたか〈1〉失われた世界と驚異の建築物・篇 (Skeptic library (07))
(2002/06)
ピーター ジェイムズニック ソープ

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一つは、アメリカの政治家・作家であるイグネイシャス・ダンリーが大西洋の深海測定データから1882年に発表したアトランティスの想像図です。
北大西洋アゾレス諸島付近にグリーンランドくらいの大きさのアトランティス島があったとするものです。

また、これと関連して、同書には、1870年代にイギリスの潜水艦チャレンジャー号と米国の潜水艦ドルフィン号が共同で北大西洋を海底測定した結果、アゾレス諸島付近の中央海嶺はアトランティスの沈んだ後ではないかとする中央海嶺の断面図が載っていました。

そこで、グーグルアースで大西洋を覗いてみました。
大西洋

大西洋の真中を南北に中央海嶺と呼ばれる海底山脈が連なっているのが分かります。

中央海嶺は、大西洋の両側の大陸、ユーラシア大陸・アフリカ大陸と南北アメリカ大陸が、太古(2億年前から)から現在までプレート移動により引き離される力が働いており、その真中は地殻が引き延ばされ薄くなり、そこにマントルの上昇圧力を受けて山脈のように盛り上がったと考えられているようです。

<WIKI大西洋中央海嶺>
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E6%B5%B7%E5%B6%BA

従って中央海嶺の水深1500~4000メートルに対して、その両側の大西洋は水深4000から6000メートルと深くなっています。

特に北部大西洋の中央海嶺は1500~2500メートルと比較的浅くなっています。
ダンリーは、次の地図(赤の円で囲んだあたり)が、アトランティスではないかと主張しています。

北大西洋

ここで、以前、木内氏が見た約1万5000年前の月の誕生以前の地球と重ね合わせてみます。

木内氏によれば、月の誕生以前の地球は、海水位が約2000メートル低く海は今より小さな太平洋一つしかなかったということでした。

<大洪水とマチュピチュ>
  http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-8.html

確かに月の誕生前の海水位が2000メートル低い時代を考えると、ダンリーの主張する、現在のアゾレス諸島の北大西洋の中央海嶺周辺は陸地であったはずです。
ここがアトランティスであったと言えなくもありません。

しかし、問題は、もう一つの木内氏の話です。
一つの大陸の端と端に、二つのグループの人類(倭人系とユダヤ系)が住んでいたという点です。

大陸も一つで、海は今より小さな太平洋だったと言うことは、大西洋は陸地だったということです。

しかし、中央海嶺両側の大西洋は水深5000メートル級ですので、水位が2000メートル低くても、まだ海の底だったはずです。
従って、私は一つの大陸のイメージができずにいました。

そこで、一つ仮定してみました。

現在の大西洋地域はかつては陸地であったが、月の誕生による大洪水によって、地殻の薄い大西洋部分が全体的に沈んだのではないか。

大西洋は前述したように、約2億年前から拡がりつつあるようです。
これは、パンゲア大陸と言って大陸はかつては下の図のように一つの大陸であったものが2億年かけて離れてきたというプレートテクトニス理論で説明されているものです。

250px-Pangaea_continents_svg.png

2億年前という期間で考えると、月の誕生時の1万5000年前は誤差の範囲の短い期間ですので、1万5000年前の大陸の形は、海の広さ以外は現在とそれほど大きな変化はないと思われます。

ただし、海の水が2000メートル上昇したときには、地球全体に相当な重みが加重されたはずです。

プレートテクニクス理論から推測すると、両側に引っ張られる力が加わっていた大西洋の地殻は、他の地殻よりもかなり薄く弱くなっているはずですので、月からの大量の水の重みによって大きく地球内部方向にたわんでしまったのではないか。
それによって、大西洋が出来たのではないか。

そして、その後にマントルの上昇圧力によって、大西洋中央海嶺ができたのではないか。

そう仮定すれば、ダンリー説と木内説の辻褄が合います。

大西洋は1万5000年前までは陸地であり、そこにアトランティスが存在した可能性もあります。

しかし、木内氏の話を信じるならば、人類が固まって住んでいたのは、一つの大陸の端と端
陸地であった大西洋は、大陸の端ではなく、真中です。

大陸の端は、現在の日本を含む東アジアと、もう一方は南北アメリカ大陸の西海岸

アトランティスやムーはこれらの地域をさすのではないでしょうか。

今の大西洋には、高度な伝説の文明、アトランティスは沈んでいないのかも知れません。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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スサノオ文明

今回は真地球史のスサノオ文明について解説します。

真地球史

アマテラス文明の後、今から3000年前から2000年前の1000年間スサノオ文明と勝手に命名しました。

古事記や日本書紀をかじった事がある人は、これをひと目見て時代錯誤していると思われると思います。

「アマテラスとスサノオは兄弟だから、同時代の人物」だと。

そのとおりですね。
記紀では次のように、アマテラスの弟となっています。

sinwa.png

池田満氏によるえおヲシテ文献でもスサノオ(ソサノヲが正式らしい)はアマテラス(アマテル)の弟とされているようです。

それでは、何故、私がスサノオ文明をアマテラス文明の後に持ってきたのか説明します。

私も、スサノオはアマテラスの弟だと考えています。

[追記]
スサノオとアマテラスは全くの他人で、後に結婚したようです。


スサノオ文明とはスサノオが活躍した時代の事を呼んでいるのではありません。

スサノオの武勇伝的な精神を受け継いだ時代としてそうネーミングしました。

アマテラス文明の初期、カミノヨ初代クニトコタチは文化立国を目指して、約6000年前に日本国を建国しました。
この文化立国の精神はその後、3000年ほど脈々と受け継がれていくようです。

特にアマテラスが存在した時代、ヲシテ文献でいうカミノヨ第八代アマテルの時代(約3500年前)には全国的に水田耕作が普及し、生活が豊かになった時代のようです。
生活が安定すると、文化も急速に発達します。

太陽と月の動きによる暦(太陰太陽歴)が作られ、男女の固定カップル制が導入されたようです。
そして、統治システムとしての道州制の導入など、急速に社会の仕組みが整っていったようです。
アマテラス時代は文化的・精神的に安定した時代だったようです。

この文化立国が精神が行き届いた時代に、スサノオがアマテラスとともに存在します。
スサノオは記紀では、我がままでやんちゃな問題児のような扱いにされています。

その一方で、出雲でヤマタノオロチを退治し、クシナダ姫を助け出した武勇伝は日本神話の中でも一番有名なものの一つで、英雄として称えられています。

<WIKIスサノオ>
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%83%8E%E3%82%AA

ヲシテ文献でも、その破天荒さ、武闘派ぶりは同じようで、アマテラスはスサノオの扱いに苦労している様子が書かれているようです。


そして、アマテラス、スサノオが活躍した時代から約500年後に精神的に安定したカミノヨの時代が終わり、精神的に混乱期となるヒトノヨの時代が始まります。

この時代は、地方が力を持ちだし、また渡来人も増加して、群勇割拠の時代に移っていったようです。
そして、かつてのスサノオの武勇伝が伝説として受け継がれていたようです。

初代天皇神武天皇が日向から東征して平定していますし、第十二代景行天皇の第二皇子ヤマトタケルスサノオの生まれ変わりと自認しながら大活躍しています。

従って、この時代を英雄スサノオにちなんでスサノオ文明としました。

現在では、姉のアマテラスが皇祖神として祀られているのに対して、弟スサノオを一段格下の神扱いとなっています。

しかし、混乱期のヒトノヨではスサノオこそが最も崇められる神だったようです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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古墳の謎

「古墳をレーザーで丸裸、3次元画像で形状くっきり」というニュースが流れていました。

http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100627-OYO1T00277.htm?from=main3

天皇の墓とされる近畿地方の大規模な前方後円墳の幾つかは、宮内庁が厳重に管理しており、一般人は立ち入りが禁止されています。

従って、考古学者も調査することができず、今回、航空レーザー計測による3次元画像を作製し、それを発表したようです。


歴史の謎を調べるにつれ、私は、これまであまり関心のなかった古墳について、最近は近場のものを見学するようになりました。

九州には、近畿地方のように大規模なものはありませんが、中規模、小規模の古墳がたくさん存在しています。

福岡県には、北部九州最大の前方後円墳である岩戸山古墳があります。
この古墳を最近見学してきましたが、木が生い茂っており何も知らなければ単に大きな森としか思われない状況でした。

ただし、古墳の周りでは、神聖な気を感じました。
やはり何らかのパワーが漂っているのかも知れません。

<参考:九州の古墳>
  http://www.asuka-tobira.com/kofun/kofun.html#kyusyu

岩戸山古墳は、5-6世紀に北部九州を支配していた有力豪族、筑紫国造磐井(つくしのくにのみやつこいわい)の墓とされ、正史では、527年に継体天皇の大和朝廷と戦い敗れたとされています。

継体天皇は謎の多い天皇のようですが、これまで書いてきたように大陸からの侵略者で、現在の天皇家のルーツにあたります。
<西暦535年> 
 http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-43.html

筑紫国造磐井が継体天皇と戦った527年という年代は改ざんされていると思います。
おそらく、継体天皇は535年以降に九州を平定したのでしょう。


話を戻すと、天皇の墓とされる前方後円墳、有名な所では最大規模の仁徳天皇陵や2番目の規模を誇る応神天皇陵がありますが、これらの古墳は宮内庁が厳格に管理しており、考古学者でさえ立ち入り禁止です。

最近の学説では、この二つの古墳は、作られたのが仁徳天皇や応神天皇の時代とずれおり、未だに誰の墓かはっきりしないというのが有力になっているようです。

従って、考古学者にとって研究対象としては垂涎の的のようですが、どうしても宮内庁の許可が降りないようです。

何故、そこまで宮内庁が頑なに調査を拒むのか?
そこには、何か大きな理由が有るはずです。

<なぜ古墳を発掘しないのか>
  http://d.hatena.ne.jp/hourou-33/20100210


日ユ同祖論など陰謀論で有名な宇野正美氏によれば、終戦直後、GHQが仁徳天皇陵や応神天皇陵などを調査したようですが、そこで目撃した物に驚き、一部資料を持ち出し、その後、宮内庁が厳重に管理するようになったそうです。

宇野氏は、天皇のルーツがユダヤと関係する証拠が出てきたためと話していますが、私はそれだけが理由とは思えません。


先週、原田武夫氏の日華の金に関する講演会において、このGHQという言葉が出ました。
GHQは天皇の保有する金を、戦後確認しているということでした。

<金の百合Ⅱ>
   http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-77.html

原田氏の著書では、金の百合は、フィリピンのミンダナオ島にあるのではないかと書かれています。
高橋五郎氏も金の百合はフィリピンにあると書いています。

しかし、前述の宇野氏のGHQが前方後円墳を調査した話を聞いていた私は、金の百合は、実際にはフィリピンではなく大規模な前方後円墳に隠されているのではないか、と推測しました。
もちろん、これには何の根拠もありません。


原田氏は、第二次世界大戦は、米国が金の百合を日本から奪うことが目的であり、そのために米国は日本を真珠湾攻撃に意図的に誘い、そして最後は原爆を落としたと話ていました。

日本がアジアから略奪した金塊が、一部はフィリピンに埋蔵された可能性もありますが、米国の狙いはフィリピンではなく、日本国内にある金の百合ではなかったのか?

フィリピンにあれば、とっくに米国が略奪していても不思議ではありません。
GHQが仁徳天皇陵や応神天皇陵で見つけたものは、金の百合ではなかったのか?

今回のレーザー計測による古墳の調査のニュースを聞いて、私の妄想が膨らんだ次第です。
今回の調査では、奈良市のコナベ古墳と堺市の御廟山(ごびょうやま)古墳です。
仁徳天皇陵や応神天皇陵が対象でない点も謎が深まる要因になってしまいます。

これらの古墳には本当は何があるのでしょうか?


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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イスラエル十二支族

ユダヤ人は、本来のユダヤ人であるスファラディと、
実質的に米国政府を牛耳り、また、イスラエル国家を建国し、世界制覇を目論む偽ユダヤ人アッシュケナジーがいると言われています。

<オリジナル人類>
  http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-47.html

米国を支配しているのがロックフェラーを頂点とするWASP、さらにその上にロスチャイルド一族が君臨し、ヨーロッパに拠点を構えていると言われています。

<WIKI:WAPS>
  http://ja.wikipedia.org/wiki/WASP

偽物アッシュケナジーは白人系であり、本物スファラディは黄色系、もしくは褐色系で全く異なる人種のようです。
私は、ロスチャイルドもロックフェラーもアッシュケナジーと考えていましたが、ロスチャイルドは異なるという説があるようです。



この動画は30年くらい前からユダヤ陰謀論を唱えてる野正美氏の昨年4月の講演会の様子です。
この1分40秒くらいのところからユダヤに関しての説明があります。

ロスチャイルドは本物のユダヤ人であり、米国やイスラエルの偽物アッシュケナジーとは異なる事をはっきり述べています。

確かにロスチャイルド家の人々の写真を見ると純粋な白人ではなさそうに見えます。

ロスチャイルド

宇野氏はユダヤの歴史について次のように述べています。

本物のユダヤ人(スファラディ)は、長らく迫害されてきた歴史がある。
その状態からロスチャイルド一族が脱皮した。
過去の苦い経験から、彼ら一族は世界の表舞台には登場せず、背後で偽物ユダヤ人アッシュケナジーを操り、世界を支配してきた。
そして、2012年目指して世界統一政府樹立に邁進している。
オバマ大統領は暗殺される。
そしてイスラエルーイランの戦争から第三次世界大戦に繋がっていくだろう。


これは、玉蔵師匠が発信してきたこととほぼ同じです。

ただ、違うのは宇野氏は、ロスチャイルドをはっきり本物ユダヤ人と述べているところです。
宇野氏の講演の様子については、このシリーズ以外も何種類かの講演の様子がyoutubeにアップされています。

それらを見て感じたのは、宇野氏はロスチャイルド系を擁護している立場にあるのではないかという事です。

確かに話している事は、概ね真実のような気がしています。
これは、副島氏も似たような所があります。

しかし、ベースにはロックフェラーを悪者にして、ロスチャイルドを擁護する姿勢が汲みとれます。
この点を少し割り引いて考えなければなりません。
要は、(両者とも)ロスチャイルド系の日本における広告担当の可能性があるのではないか?

ロスチャイルドがアシュケナジーではなく、スファラディと言う点は可能性はあるものの100%信用できるものではありません。

宇野氏はロスチャイルドは、ユダヤ人の始祖アブラハムから分かれたイスラエル十二支族の末裔と述べています。

それでは、イスラエル十二支族を調べてみます。
次の図はユダヤ乃間というサイト様(http://saisaikan.hp.infoseek.co.jp/kobore3.html)からの転載です。
このサイトは、イスラエル十二支族について分かりやすく纏まっています。

十二支族

図の最下段の12血族(レビ族は祭祀なので除くらしい)がイスラエル十二支族だそうです。
今から3100年くらい前に誕生した古代イスラエル王国時代の話です。

その古代イスラエル王国が約2900年前に北朝イスラエル王国(十支族)南朝ユダ王国(ユダ族、ベニヤミン族)に分裂し、その300年後に両王朝ともアッシリアに滅ぼされたようです。

この後、南朝ユダ王国のユダ族、ベニヤミン族の末裔はパレスチナを復興しユダヤ人と命名され迫害の歴史が始まるようです。

一方、北朝イスラエル王国の十支族は、滅亡後、消息をたったとされています。
それが有名な古代ユダヤ失われた十支族のようです。


宇野氏で気になるのは、日ユ同祖論です。
日本には、古代イスラエルの部族がやってきて、それが天皇家の元になったというものです。

前出のyoutube映像で、宇野氏はユダ、ベニヤミンの二支族と消息をたった十支族、あわせてイスラエル十二支族全てが日本に来ていると言っています。

さらに十二支族、全てがそろっている国は日本しかないと。

アッシリアによる北朝イスラエル王国と南朝ユダ王国滅亡後、十二支族の一部は中国方面に移動し、3世紀頃に日本にやってきたと言っています。

そして、四国の霊峰剣山に渡って、モーセの契約の箱を授かり、そこから大阪に移動して王陵(今の仁徳天皇陵)を作ったそうです。
おとぎ話のような話ですが、口から出まかせとも言えないような感じがしています。
詳細は次の本にも書かれています。

古代ユダヤは日本で復活する―剣山の封印が解かれ日本の時代が始まる古代ユダヤは日本で復活する―剣山の封印が解かれ日本の時代が始まる
(1994/11)
宇野 正美

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確かに紀元前2世紀から紀元後6世紀頃には渡来人が増加した事は定説になっています。
神社や神輿にみられる模様、古代イスラエルとの共通点のようなものがあります。

<六芒星と水星>
    http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-64.html

渡来人の中に、イスラエル十二支族が混じっていても不思議ではありません。


この十二支族と日本の関係の考察は、さらに次回に続きます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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十二支族と渡来人

前回のイスラエル十二支族の続きです。

宇野氏は、3世紀頃に十二支族の末裔が大陸から日本に渡ってきたと話ています。

いわゆる渡来人が日本に入りだしたのは、歴史上では紀元前2世紀頃からとなっているようです。

私は、それ以前も多くの渡来人が日本に来ていたと推測しています。
しかし、それまでの縄文文化、アマテラス文明以降の未だ真実を伝えられていないが間違いなく存在した高度な日本の先史文明に、大きな影響を与えだしたのは紀元前2世紀以降の渡来人ではないかと考えています。

その代表的な渡来人が徐福ではないでしょうか。
徐福は、紀元前2世紀頃栄えた中国、秦時代の人物です。

私が徐福を知ったのは、横山光輝氏の『項羽と劉邦』に出てきたからです。
項羽と劉邦 (1) (潮漫画文庫)項羽と劉邦 (1) (潮漫画文庫)
(2000/11)
横山 光輝

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秦は始皇帝が初めて中国統一を成し遂げた国家です。
始皇帝は、自分の権力を誇示するために、大宮殿を建てた他、外敵の侵入を防ぐため万里の長城を建設させ、大国家秦を安泰なものにしていきます。

それでも安心できなかった始皇帝は、自分が永遠に秦を治め続けるために、東海(日本の方向)の国にあるとされる不老不死の薬を探す事を考え、実行に移します。
その際、派遣されたのが徐福です。

やはり、当時の日本は「日出ずる国」、神秘に満ちた国だったのですね。

始皇帝は、徐福に大型船10槽の船団を用意させ不老不死の薬探しに日本へ行かせます。
同行者1000人以上、食糧や金銀財宝を大量に積み込また大掛かりなものであったようです。

しかし、結局、徐福は秦に戻ってくることはなかったようです。

この徐福に関しては、日本各地に徐福伝説が残されています。
鹿児島、佐賀、和歌山、愛知など全国数十か所にいたります。

これらの伝説から、徐福が存在し、彼ら一行が日本に帰化したことが窺えます。
徐福伝説に関しては詳細が次のサイトの載っています。
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/jofuku/jofuku.htm

徐福は、秦の人物ですが、その秦の始皇帝自体が古代ユダヤにつながる人物という噂があります。
日本に帰化した徐福一行が古代ユダヤの血流を持った人物だった可能性も十分あり得ります。


次に、秦の始皇帝の末裔でないかとされているのが、渡来人の代表格、秦氏(はたし)です。

<WIKI:秦氏>
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F

秦氏はその音読が秦(シン)であり、明らかに秦に関係した氏のようです。
秦崩壊後、日本に渡来し大和政権の中枢となっていったようです。

そして、その大陸系大和政権を立ち上げたのが、これまで書いてきたように、現在の天皇の実質的祖、大陸からやってきた継体天皇です。
継体天皇の素性など詳細は良く分かりませんが、その名「継体」が示すとおり、535年の隕石落下で壊滅した日本の先史文明を引き継いだようです。

この継体天皇こそが十二支族の末裔の可能性が高いと思っています。

[追記]平成22年9月21日
 (継体天皇は直接的には古代イスラエルとは関係なさそうです。別の渡来人秦氏が古代イスラエルと関係しているようです)

現在の皇室も十二支族の流れを汲む事になります。

ちなみに、前述の秦氏一族は、現在は名前を変え宮内庁で神楽を担当しているそうです。

大和政権以前は、現在定説とされている皇室系統ではなく、別の皇室系統があったはずです。
それを伝説の邪馬台国と呼んでいいのかもしれません。

それがアマテラス、スサノオから神武天皇につながる倭人の流れを汲む縄文・アイヌ血流

この縄文・アイヌ血流と増加していった渡来人との間で、軋轢が生じ、国が乱れて行ったはずです。
そんな最中に535年の隕石落下が生じ、日本の先史文がほぼ壊滅。
大陸系の継体天皇が天下をさらってしまったようです。

これを揶揄した童謡がカゴメカゴメ。
スサノオ(アマテラス、スサノオ文明)とオオクニヌシ(大陸系文化)が入れ替わったということのようです。
(出雲信仰については別の機会に書くつもりです)

先史文明の生き残りは、大変な悲しみだったと思います。
その後、政権交代により、純粋な先史文明の行き残りは徐々に少なくなり、途絶えてしまったようです。

宗教では仏教が伝来し、それによって古代から受け継がれてきた神道も大きく変貌し、それが伊勢信仰に繋がっているのではないかと個人的に推測しています。

政権を受け継いだ大陸系が自らを正当化するために、出雲系神道に代わって新たに伊勢信仰を立ち上げたのでないか?
本来の古神道は、出雲系に残されているのではないかと考えています。

しかしながら、倭人のDNAがなくなった訳ではなく、大陸系と交わりながらも全てを吸収し、独自の文化を生み出してきたのが日本です。
仏教、キリスト教しかりです。
全て日本仕様に変わっています。

<天皇教>
  http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-33.html

明治維新以降、ほとんど西洋文化に浸食されてしまいましたが、神道等の古代から続く日本の精神が途絶えいるわけではありません。

日本は世界の雛型と言われますが、その本来の姿が現れる時期がまじかに迫っているのかも知れません。


最後まで読んでいただきありがとうございました。



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